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Column

出過ぎた杭は打たれない!

「キャンパーバンデザイナー」の数奇な半生

author: 茨木一綺date: 2021/08/03

この連載では僕の拘っているモノ、コトについて深く掘り下げてお伝えできればと思っているのだけども、有名人でもないのでまずは「誰?何してる人?」というところを含め、今興味を持っているモノコトにたどり着くまでを備忘録的に早歩きでまとめてみようかと思う。

クルマにはまったきっかけは一台のミニカー

現在はアウトドアやアメ車を主軸にしたデザイナーズユニット「CielBleu(シエルブルー)」として活動し、クリエーター、デザイナー、コーディネーター、プロデューサーとして各方面に関わらせていただき、充実した毎日を送っている。だけど、なぜ今の仕事に行きついたの? という疑問がわいてきた。そもそも、僕は機械など複雑な構造物への興味が一番深く、それに伴う収集癖が付きまとう。

複雑な構造物の第一歩というとやはりクルマ。僕がクルマに興味を覚えたのは約50年前、2~3歳の頃。親父がお土産で買ってきたミニカーがきっかけだった。確かロンドンの2階建てバスで、今でも持っている。そのミニカーを僕が意外にもすごく喜んだらしく、事あるごとにクルマのおもちゃが増えていった。

当時、海外にも出張の多かった親父は国産車から外車まで様々なミニカーを買ってきてそれらはすぐに100台を超えた。その頃には街に走る車の車種やグレードをすぐに言い当て、母親が乗っていた自慢のスカイラインS54Bのグローブボックス裏辺りを弄り倒してボヤ騒ぎまで起こしたりもしたのは今でも記憶に残っている。

その後、程なくして高度成長期の世の中はスーパーカーブームに。小学生の間でもスーパーカー消しゴムが大流行したり、近くの会場ではスーパーカーショーが時々開催されるようになり、時間が合えば連れてってもらってたけど、今思えば自動車の形よりも当時からエンジンの何とも言えない機能美というか、ここの性能を上げるためにこの形になった的な部分に惹かれていた。

アメリカで出会ったMOSSのテントとシェビーバン

クルマの免許を取った頃からそのスタイルはさらに加速。VWビートルType-1を買って毎晩のように仲間と車やバイクのエンジン下ろしたりチューニングしたりして、休みにはジムカーナやオフロードレースに参戦。仕事もムラサキスポーツからカーオーディオインストーラー、メカニックへと転職していたので、仕事先の先輩たちとカローラレビンAE86にキットもないのにいろいろ作ってタービン付けたりしてゼロヨンに参戦したり、オールドVWのイベントに参加してレースしたり、ワーゲンType-1にオーディオシステムを組んでムーンアイズのストリートカーナショナルにエントリーしてたりもした。

仲間とイジり倒したVW Type-1で、「ジムカーナ」に出場した時のスタートシーン。本当に面白い車で今もセカンドカーに欲しい一台。

あ、そうそう、友人と「4駆をローダウンしたらカッコよくね?」ってテラノとビッグホーンをベタベタにして都内を走り回ってたら雑誌の取材を受けることになり、いつの間にか全国に4駆ローダウンが流行ってびっくりした事もあったっけ。

いすゞビッグホーンをローダウン。オーストラリアではシボレー トレイルブレイザーとして発売してたので、そこからエンブレムなど調達してた。

そしてバブル後半時期の20歳過ぎには、ずっとやっていたサーフィンやスケボーとカスタムカー好きならやっぱアメリカだよね? と思い立ってアメリカへ渡った。古着バイヤーの先輩や波乗りの先輩たちもいたし、英語だけは得意だったから軽いノリで。

L.A.でスケートやスノーボード、サーフィンしながら古着屋の先輩の仕入れの手伝いしてるときにいろんな出会いがあって、BAJA1000っていうレースのサポートチームを手伝ったり、ドラッグレースのメカニックをやったりしてかなり実のある日々を過ごしてた。

1990年辺りLAハンティントンビーチのカーショー。こんな所で出会った人や車のおかげでカーカスタムに対する視野が随分広がった。

ちょうどその頃、アメリカで車中泊しながらサーフィン行くクルマの中でサソリが出た事があって、「虫ってどこでもいるやん!めっちゃ怖いやんか」って思ってメッシュのテントを買って寝始めたのが、小学生の時イヤイヤでかじったボーイスカウト以来のキャンプスタイルだった。

はじめは適当な安いメッシュテントだったけどすぐ壊れたので、当時中古品屋で訳も分からず見つけたのはMOSSというメーカーのテント。中古で興味もあまりなかったからモデルとか覚えてないけど多分スタードーム(?)。3人用で、まあまあ高いけどカッコよくて虫からも安心で気に入って使ってた。

アメリカで免許取って一台目はマーキュリー・ゼファーっていうステーションワゴン。某伝説的サーファーに譲ってもらって、それだけでサーフィンが上手になりそうな気がしてたクルマ(笑)。でも少しして調子が悪くなった時に、ちょうど86シェビーバンとの交換情報があったので車中泊にはちょうど良いと即決でアメリカを後にするまで相棒として活躍した。

現地2台目の愛車。護送車の払い下げだったので街でホント怖そうな人から「懐かしい!」ってよく声かけられてた。今のスタイルの原点。

当時シェビーバンに乗ってて思ったのは、GMの車って少々古くても部品が安価で手に入りやすいし、システムも単純で長く乗るにはいいのかなと。カスタムやチューニングパーツもすぐ手に入るし、飽きなさそうで僕には合ってるのかなってとこは今に繋がってる。

姉夫婦の影響でアメ車に似合うキャンプを追求しはじめる

その後日本に戻ってからは、アパレル主体のセレクトショップを始めた。そのガレージで自分や仲間のクルマやバイクを弄ってるっていうハイブリッドなスタイルで営業してみたり、友人の中古車屋でアメ車を扱い始めるというので間借り外注としてメカニック業を本格的に開始したりで、相変わらず収集癖と機械に囲まれた生活を送っていた。

結婚もちょうどその頃で、ママは乗り物、ファッション、バス釣りが大好きで横ノリは苦手女子。クルマを弄るのも一緒、バス釣りにも誘われて暇を見つけては昼夜なく一緒に出掛けるようになっていた。今のスタイルに近いキャンプが伝わってきたのはちょうどその時期にママの姉夫婦から。会えば必ず誘われ、キャンプについてのプレゼンが始まる。当時の僕にとってのキャンプの印象は辛いボーイスカウトと波乗りで泊まるための手段。キャンプ自体を楽しむという考えは無かったから全く響かなかったのだけど、見せてもらったキャンプギアにはメカ好き収集癖のアンテナが騒いだ。

あまりに熱心に誘われたので、1回は付き合うかと連れてってもらったキャンプ場で今の基盤が始まったといっても過言ではない。ランタンやテント、バーナーは確実に僕ら夫婦の心をくすぐり、乗っていたシボレーエクスプレスとキャンプでの風景のコラボがとてもカッコよく映った。キャンプでの出来事も思った以上に楽しく姉夫婦のアツいプレゼンにすっかりハマった夫婦はそのキャンプの帰りには早速アウトドアショップに寄り、「アメ車でキャンプ」のイメージに合うギアを物色していた。

そこからは早かった。アメ車乗りの友人たちへキャンプがいかに楽しいか、アメ車でドライブした先のコンテンツとしていかにオシャレかを口コミしまくり、週末には仲間とキャンプ場に集まるようになっていた。大好きな車でツーリングし、目的地のキャンプ場に着いたら車在りきのサイトセッティングからのキャンプ飯、自慢のランタンを持ち寄りメンテしたり、時にはキャンプ場で仲間の車を直したり。夜にはキャンプギアや車の話で盛り上がった。

そのうちキャンプ場で知り合った車友達以外の仲間もできて、インターネットがまだ今ほど発達してなかった当時は毎週末集まってはギアや海外通販の情報を交換しながら過ごしていたかな。1年に1度は全国のアウトドアブログ仲間10組くらいで富士のたもと、ふもとっぱらキャンプ場に集まってコアな情報交換もしていた。そんな日々を数年続けて少しキャンプに飽き始めたころ、友人の一人が「アウトドア用木製家具を自作したい」という話になって。それならママの実家に木工道具も揃ってるし一緒に作ろう!という事で今の仕事の原点であるアウトドアでも使えるウッドファニチャーの製作が始まった。

今でも年に一度受注生産を行っているウッドテーブルの数々。

ブランドを立ち上げ、バンライフブームの仕掛け人に

家具製作は初めてだったけど、10代の頃先輩の宮大工にいろいろ教えてもらったり手伝ったりしてたのと、その後カーオーディオインストーラーとして木工造形を習った時のスキルがここで生かす事が出来たのは嬉しかった。

程なくしてブログ友達として知り合った当時絵を描くのが趣味のOLで後に「女子キャンプ」という今となってはよく見るスタイルを初めて確立した「こいしゆうか」という人物用に徒歩や電車でも持っていける小さなウッドテーブルを考えて製作して渡した辺りからメディアの取材申し込みが増えてって仕事になっていった。

ハイキングやサイクリングにも手軽にウッドテーブルを持っていけたら…というコンセプトで製作した「U.L Rolltop Table」。

そこからは個人メーカーとして製作しながら、当時は少なかったアウトドアスタイリングやコーディネートをしながらメディアのお仕事もしてたんだけど、いつかはクルマとアウトドアがくっ付けばホントに楽しい仕事になるのにと思いつつ、業界仲間のアメ車を作ってあげたり相談に乗ったり修理してあげたりしながらタイミングを見てたわけ。

そしたらちょうど5年前に仲間で野外音楽選曲家の河合桂馬が「”VANLIFE”スタイルの車を作って欲しいんだけどワカさんなら出来るよね?」って言うんだよね。最初は「VANLIFE」って何?と思ったけど、よくよく聞くと僕がアメリカでやってた車上生活がオシャレになってた感じ?それなら雰囲気も理解できるわ! って二つ返事で仕事受けて製作して、どうせなら「VANLIFE」って欧米文化を日本に流行らせてみるかって桂馬と話して、自分のシェビーバンもVANLIFEスタイルに改造、そこからは2夫婦4人でいろんなメディアやイベントで見せて話して少しづつ広がっていって今に至るというわけ。

河合桂馬くんに依頼されて製作したキャンパーバン一号機。

若い頃は好きなことに邁進すべし

小さい時から好きだったクルマと結婚してからドはまりして仕事にまでなったアウトドアが融合して、思い描いてたアウトドアとクルマを楽しみながら仕事に出来るようになった瞬間だった。

つらつらと僕の人生を書きなぐってみたけど、いろんな事やってきてるでしょ? 上辺だけ聞くと一つの事を辛抱に続けてれば…って思う方も大勢いらっしゃると思う。それはそれでとても立派な事だと思うけど僕には向いてなかった。

確かに20代~30代前半までは将来の自分が何者になるのか見当も付かなかったけど、その分好きな事、そこから広がった事を突き詰めて行く事が出来たし、遊びの中でも人との出会いの中でもいろいろ勉強させてもらった。いつもアンテナを張って敏感に感じてしっかり考えて行動に移す事だけは忘れなかったおかげで、50歳を過ぎた今でもそれが癖になってるようで毎日ワクワクドキドキ過ごせているし、新たにチャレンジすることも続けられているんだと思う。 振り返れば楽しい事ばかりじゃなかったんだけども、今までの出来事にも出会いにも家族にもすべてに感謝している。出る杭は打たれるけど、出過ぎた杭は打たれない。そんな大人になるのも楽しいよ。


茨木一綺

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クリエーター・クリエイティブディレクター
茨木一綺

CielBleu. le petit atelier主宰。ウッドクラフトをはじめアウトドアギアからカーカスタムまで幅広く製作しながら、アートディレクター、クリエイティブディレクターとしても多方面で活躍。アウトドアイベントのオーガナイズ、プロデュースも数多く手掛ける。2021年2月にソニー・ミュージックから発売されたdaisuke katayamaのアルバム「THE MIDNIGHT BONFIRES」ではクリエイティブディレクターとして参加。