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金谷勉と巡る日本のすごい職人列伝

清水焼と小石原焼の融合。縄文土器に魅せられた陶芸家・涌波まどか

author: 金谷 勉date: 2021/07/25

――京都・清水焼の伝統を受け継ぐ、夫、涌波蘇嶐さんと、福岡・小石原焼の窯元に生まれた妻、涌波まどかさん。ふたりが出会ったのは、ともに陶芸を志した学生時代のこと。そして結婚して新たに生まれた工房が、それぞれの技法と信念を融合したモノヅクリを行う「蘇嶐窯(そりゅうがま)」だ。京都の東山に工房を構え、茶道の世界の花器や香炉をつくり、そして私たちの暮らしに寄り添う日常のうつわ、はたまたアートとしての作陶、さらにはジュエリー、そしてまた“縄文”と……“やきもの”の道の可能性をどんどん大きく広げている。

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出会いのきっかけは、若手職人の育成プロジェクト。

金谷 涌波さんとお会いして、もう6年ほどになりますか。

涌波 そうです、「京と今の和プロジェクト(以下、いまのわ)」の面接が最初ですね。あのとき“絶対に落とされる”と、夫(涌波蘇嶐さん)と話しながら帰って………。

金谷 ええ!? そう思っていらしたんだ?

涌波 はい。だって金谷さん、私たちに興味なさそうでしたよ(笑)

金谷 いや、それはね、涌波さんたちよりももっと状況の厳しい方々がいらして。涌波さんは、そこそこやっていらっしゃったのでわれわれのサポートは必要ないのでは? と思っていただけですよ。ちょっと「いまのわ」を説明しますと、京都の伝統産業を担う若手職人から熟練の匠が集まり、プロデューサーの助言……あ、プロデューサーというのは僕です。現代のライフスタイルに合った商品を開発するというプロジェクトが「いまのわ」で。今の「京都職人工房」の走りのような位置づけとして若手職人の育成を目的としていました。涌波さん、どうして「いまのわ」に応募なさったんですか?

涌波 蘇嶐窯を立ち上げて間もなくだったので、まだ自分たちにとってフラグになるものがなく、“どうしよう? どこを目指そう?”と模索していて。新しいことにチャレンジしたい、現状を打破したいという思いで応募しました。まさか予想に反して審査に通るとは……驚きました(笑)

金谷 「いまのわ」に参加してどうでした?

涌波 ひたすら宿題が出て大変でした。宿題の意図はわからないけれども、やっていないと叱られるので……中学生のように必死でやりました。でも、理解できていないから、正解がわからない。提出するたび、金谷さんに“こういうのじゃないんだよな”と言われ続け、“このままじゃあかん。どうにかせな”と思わされて、それが原動力になりました。

金谷 ふふふふふ(笑)

涌波 業界や競合相手を分析したり、自分たちはどういうところを目指したいのか、なりたいブランドイメージの写真を探したり……毎回頭をひねってました。そもそもパソコンが得意じゃなかったので、すごく嫌でしたよ。

金谷 それが今ではパソコンを使いこなして。日々のSNS投稿もお手の物でじゃないですか!

涌波 おかげさまで(笑)。SNSでの発信についても金谷さんに叩き込まれましたから。

金谷 「いまわの」のゴールとしての展示会では、陶器のフラワーポットをつくられてましたね。その後、うちの「コトモノミチ」での展示会に出ていただいて。

涌波 そのとき、金谷さん、カップ買ってくれはったんです。“掛け分け”のカップを。

金谷 “掛け分け”というのは、異なる色の釉薬を掛け分けることです。

涌波 ですです。金谷さん、ご自分の干支ということで「いのしし」の香合を買ってくれはったんですけれど、「紺がいい」って。うち、青磁をメインにしているのに(笑)

金谷 とにかく「紺」が好きなんですよ。“セメントブルー”と名付けて、あちこちで誂えていただいているほどに。なので、カップと香合も「紺」で別注したんです

干支をモチーフにした香合。凛とした佇まいのなかにも温かみがあり、ついつい手で愛でたくなる。香合とは“香”を収納する蓋付きの小さなうつわのこと。仏具や茶道具として発展してきた。凛とした印象の青磁と、金谷さんの別注以来登場した「紺」。

異なる産地の技法が融合し、異素材とのコラボが生み出す新たな“やきもの”の世界

金谷 あらためて涌波さんの「蘇嶐窯」について説明いただきましょう。いや、その前に涌波さんの越し方をどうぞ。

涌波 私は福岡・小石原焼の窯元で生まれ育ちました。父が十四代目で、四人姉妹のうち誰かがいずれ継ぐものと思っていました。大学を卒業後、陶芸を学ぶため京都に出まして、その学校で主人と出会いました。

金谷 ご主人は、ここ京都・清水の窯元でいらっしゃって。

涌波 はい。おじいさんである初代・涌波蘇嶐から数えて四代目です。義父が二代目で、義母が三代目となります。京焼青磁の技術を代々受け継いてきました。花瓶と香炉など、茶道での、床の間に飾るものがほとんどでした。

金谷 いっぽう小石原焼は?

涌波 民藝雑器といいますか、日用的なアイテムが多いです。大きな特徴は、飛鉋(とびがんな)を使うことでしょうか。

――飛鉋とは、“時計のゼンマイばね”でできた刃物を使う陶芸技法のこと。古くは中国の宋時代(10~13世紀)に遡るが、昭和初期、民藝運動の父と称される柳宗悦が大分県小鹿田の飛鉋を高く評価したことで世に知られるようになったもの。だが、その祖となるのが、涌波さんの故郷・小石原なのである。小石原は江戸前期(1682年)に窯業地として開業。その後、ひとつ山を隔てた小鹿田へとその技術を伝え、小石原の分流の窯として発展していったのだった。

さっそく、涌波さんに飛鉋の工程を見せていただこう。

轆轤(ろくろ)の回転に合わせながら、飛鉋を当てると、生地(土)との摩擦で微振動が起こり、ちょうど時計が針を刻むような反復運動となる。飛鉋の刃が“生地に食い込んでは離れる”を瞬時に繰り返すことで、生地の表面に規則正しい“刻み目”を表現することができるのだ。

柱時計のゼンマイばねを材料とした飛鉋。

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涌波さんが飛鉋の刃を当てるとと、規則正しく土が削り取られていく。この“かけら”がセラミックジュエリーと姿を変える。

金谷 この飛鉋の技法を青磁に施しているのが「蘇嶐窯」の魅力のひとつでもあって。考えてみるとスゴイことですよね? だって、飛鉋は小石原焼の技術であり、青磁は京焼の技法です。異なる産地の技が融合しているんですから。それにね、京焼は磁器で小石原焼は陶器ですので、そもそも使う土が違います。ある意味、真逆の世界といえるのでは。

涌波 そうかもしれません。陶器は粘土質の土を使い、あたたかみのある質感に。磁器はガラス質の多い石の粉を使い、焼くことで硬くなり繊細な印象に、とされています。その両者をいかした……というのは珍しいでしょうね。

金谷 そうして歩み寄ってつくられた器はあちらこちらで評判が高く。また、ほかの伝統工芸の方とコラボなさった品も。

涌波 はい、二条城の近くに工房を構える「竹工房 喜節(きせつ)」の細川秀章さんとご一緒しています。

金谷 青磁と竹細工が見事に調和なさっていてインパクト大です。しかもとても緻密で美しい。これ、お皿ですか……いや、違うな。

涌波 飾っていただくための“リース”で「Spiral」と名付けています。じつは失敗から誕生した作品なんです。

金谷 どこをどう失敗したんでしょう?

涌波 リム皿(*縁のあるお皿のこと)をつくっていたところ、リムを削る際、縁の立ち上がりを薄く削りすぎて底が抜けてしまったんです。縁だけが残ってしまって、さあどうしよう? と。

金谷 おお、それがリースになるとは。

涌波 鏡にするか時計にするか、それとも……と考え、ディスプレイ用のリースにしたんです。でも陶器だけでつくるとうまくいかない。なんだか野暮ったくなってしまうんです。そこで細川さんに相談したんです。以前から、青磁と竹は合うだろうなと思っていたので。

金谷 陶→竹→陶の順に外へ外へと広がり、螺旋状の飛鉋がさらに広げるような印象です。まさに従来にはなかったアイデアと伝統的な技法の融合なんだなぁ。

美しい青磁とたおやかな竹が見事に調和された「Spiral」。青磁と竹の色合いのバランスのよさに見惚れる。

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緻密な細工が施され、やきものの世界に新たな命が吹き込まれたかのよう。2枚目の写真は「Spiral」の新作。竹細工の細川さんは、網代編みの竹籠バッグの美しさに定評がある気鋭の職人だ。


縄文好きのハートを捕らえるアイテムが続々と。

金谷 さて、昨今の涌波さんを語るうえで欠かせないのが「縄文」です。SNSでもすごい人気ですよねぇ。縄文をテーマに個展を開かれ、BEAMSなどセレクトショップ、そしてご自身のECサイトでも販売されて。縄文ブームとも相まって、ホント、すぐに売り切れになるほどです。それにしてもなぜ縄文に?

涌波 そもそものきっかけは、息子の夏休みの自由研究だったんです。火焔型土器をつくるとなり、そのサポートをしたところ私がまんまと縄文の造形美にハマッてしまった!

金谷 それまで縄文時代に興味があったとか?

涌波 いえまったく。でも縄文時代にこれほどまでに美しくパワフルなものがあったという意味を考えると作家魂に火がついて。現代で陶器をやっているからこそ刺激されたといいますか。

――火焔型土器とは縄文時代中期(約5000年前)を代表する土器を指す。燃え上がる炎を象っていることから“火焔”の名を持ち、日本の全国各地でつくられていた。火炎型土器が世に知られたのは1936年(昭和11年)のこと。その後、芸術家・岡本太郎が「土器のアシンメトリーで動的な、内面から湧き出る美に感動した」と評し、それまでの“日本の美意識”はシンメトリーで静的な美であり、侘び寂びであるという概念を覆し、考古学的な解釈で捉えられていた縄文土器や土偶が美術品となったのだった。

金谷 陶芸のプロが縄文にハマッたというのが興味深い。最初に作品としてつくったのはなんですか?

涌波 手びねりで小っちゃな土偶をつくりました。これをSNSに投稿したら、驚くほど反響をいただいて。「かわいい♪ 青磁であったらいいのに!」と言われ、「では限定10個つくります」と答えたところ……。

金谷 答えたところ?

涌波 値段もなにも伝えていないのに、予約で10個売れてしまいました。そのときは「縄文好きな人、多いんだなぁ」とほわ~んと思っていました。アイテムが増えるとともに、縄文好きな方々のフォロワーも増えて……。

金谷 髪飾りに酒器、お香立てとバリエーションも多いですね。それにしても、いつも見ていますが、SNSの反響、すごいなぁ。

涌波 そうそう! SNSは金谷さんの教えではじめました。“SNSに投稿するのは無料なんだから絶対にやるべき。お金をかけるのではなく、お金をかけずに発信することが大切だ。だから、とにかく毎日続けて投稿しなくちゃいけない”と諭されて。最初は、そうなの? と訝しがりながらも、その当時(4、5年前)、自分ができることはSNSぐらいしかなかったので、金谷さんの教えを守って投稿し続けていたんです。

金谷 でも、ちゃんと効果が出たでしょ。

涌波 はい。ほんまにいろんな仕事につながって。SNSを見た人たちが個展に来てくださったり、“がんばってるね”と声をかけてくださいますしね。

金谷 そうなんです。“がんばってるね”の声をひとつひとつつなぐしかないんです。いきなりドーンとはならない、じわじわしかない、やるしかない。イケる人はそうした積み立てをしているんです。

涌波 実感してます。うちは子どもふたり育てるのに必死だったので、まずはやれるところからやっていこう、と。

金谷 縄文シリーズのきっかけとなった息子の優太さんはいまや高校生で。小学生のときから「蘇嶐窯」の五代目を継ぐとおっしゃっておられる。上はお嬢さんですよね?

涌波 はい。大学生ですけれど、今、コロナ禍で時間があるのか手伝ってくれています。“服、買うたるし、手伝って”って(笑)

土器や土偶をモチーフにしたオリジナルの品が揃う。こちらは火焰型土器のヘアゴム。

縄文好きにはおなじみ「遮光器土器」のオブジェ。“焼き”を待つ大群はさながら上等な菓子のよう。

群馬・千網谷戸遺跡で出土された耳飾りを青磁で表現。“縄文人のいい意味での変態感”が色濃く現れたデザインに魅了されて制作。「商品化はできないし、しません。自分のためにつくりました!」


伝統技術の“かけら”を身にまとう。ありそうでなかったセラミックジュエリー。

金谷 さらにもうひとつ、忘れちゃいけないのが「時の雫」をはじめとするセラミックジュエリーですね。これはうちの「コトモノミチ」でも扱わせていただいています。これまた飛鉋をいかしたもので……。

涌波 飛鉋で削ぎ落とされた“土”を丁寧に焼き締めて、ガラスのドームに閉じ込めました。ピアス、イヤリング、ネックレス、ブローチがあります。

金谷 僕もブローチ、愛用しています。こう、ドームの中にナニが入っているのだろう? と好奇心をそそられました。ああ! こちらのネックレスもかっこいいなぁ。

涌波 これは「礎」と名付けていまして。うつわを轆轤から切り離す際、轆轤に残る薄い土の層を自然に乾燥させたものなんです。

金谷 そのまま素焼きのものと釉薬をかけたものがあって。この重なりが静かな音を立てる。“伝統の技法を身にまとう”とおっしゃっている通りのアイテムだと思います。

「時の雫」のブローチ。ホワイトとゴールドの2色展開でゴールドは、京都の箔師が本金箔を施している。

セラミックジュエリーの素がこちら。薄い土の層が自然に乾燥してひび割れた様子。

20のかけらが連なるネックレス。揺れるシルエットも素敵だが、それぞれが重なる度に聴こえる“かすかな音”にも魅了される。


――6月に四年ぶりの個展「四代 涌波蘇嶐 作陶展」を大丸京都店で、そして7月には日本橋木屋 東京ミッドタウン店での展示「辻本理恵 眞鍋紗智 涌波まどか3人展」、さらには新潟の十日町市博物館(期間限定の企画展)に縄文アイテムが置かれるという涌波さん。ますます活躍の場が広がり、やきものの可能性、他ジャンルとのコラボレーションにも期待が高まる。

金谷 ズバリお尋ねします。目下、鋭意、取り組んでいることは?

涌波 うーん。いろいろ目の前のことをひとつずつ向き合っていかないと。どれも楽しみなことばかりですが、なかでも注力しているのはレストランに納める平皿です。以前、ローマで知り合ったレストランのシェフが、今、銀座の資生堂ビルにいらっしゃるんです(「FARO」能田耕太郎シェフ)。能田シェフから時間がかかってもいいからと宿題をいただいていて。異なる産地がフュージョンした白い器、洋食器ではなく和食器の平皿を、というリクエストなんです。

金谷 “なぞなぞ”のような、“とんち”のようなオーダーですね。

涌波 そう、解釈が難しいんです。でも、試作を重ねつつ取り組んでいます。また、インドネシアの方でヴェロニカ・ハリムさんというモダンカリグラフィー界のカリスマがいらっしゃるんですが、その方から、ペンレストもご注文いただいています。共通の知り合いの調香師さんが声をかけてくださいました。

金谷 おお、どんどんご縁が繋がり、広がっていますね。僕も次はなにを誂えていただこうかなぁ(笑)

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涌波まどか (わくなみまどか/写真右)

1976年福岡・小石原生まれ。14代続く小石原焼の窯元に生まれ育ち、幼い時から陶芸家を志す。佐賀大学教育学部造形文化コース卒業。京都府立陶工高等技術専門学校陶磁器成形科・研究科修了。未来の名匠認定。専門学校時代に、夫である涌波蘇嶐氏と出会う。

◎蘇嶐窯

京都府京都市東山区清水4-170-22
TEL:075-561-8004

Text&Photo:山﨑真由子

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クリエイティブディレクター
金谷 勉

1971年大阪生まれ。セメントプロデュースデザイン代表取締役社長。全国各地の町工場や職人との協業プロジェクト「みんなの地域産業協業活動」では、600を超える工場や職人たちとの情報連携を推進。年間200日は地方を廻り、京都精華大学、金沢美術工芸大学で講師を務める。自著に『小さな企業が生き残る』(日経BP)がある。
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