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Interview

川内イオと稀人ハンターズ

クリームソーダとカレーで全国を巡る「旅する喫茶」

author: 稀人ハンタースクールdate: 2023/12/12

高円寺駅の南口から徒歩3分の路地裏に、「旅する喫茶」はある。スパイスカレーとクリームソーダが看板メニューのお店は、もともと全国をめぐる移動喫茶店として、2019年にスタート。現地の食材でクリームソーダとスパイスカレーを作りながら、日本を回ってきた。2021年には、旅を続けるための拠点として、店舗をオープン。SNSでも人気を博し、多くの人が訪れている。

稀人No.005
旅する喫茶・玉置直樹

クリームソーダとスパイスカレーを看板メニューにする「旅する喫茶」の店主。1995年、香川県生まれ。会社員時代、趣味のスパイスカレー作りがきっかけで、クリームソーダ職人のtsunekawaさんと出会い、出張型喫茶「旅する喫茶」を開始。地元の食材を使ったクリームソーダとスパイスカレーを作りながら全国を回る。2021年、東京の高円寺に店舗をオープン。現在は、店舗を拠点としながら旅を続けている。

X : @tamakicurry @tabi_suru_kissa
Instagram:@n_tamaki@tabisurukissa

海外料理店やピンクなお店が並んでいる路地裏の一画に、「旅する喫茶」と書かれた看板が置かれていた。ヴィンテージな木の扉は、スポットライトに照らされている。扉を開くと、2階へと続く階段が現れた。ドキドキしながら階段を登っていくと、淡いオレンジが所々を照らす、やさしく淡い空間が現れる。

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カウンター10席、半個室のテーブル3席、ソファー1席。「きれい……!」と小さく喜びながら、クリームソーダにスマホのカメラを向ける女性の姿も見える。看板メニューは、クリームソーダとスパイスカレー。テーブル席に座り、旅する喫茶の始まりとなった「旅する喫茶のチキンカレー」と「青空のクリームソーダ」をオーダーした。

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最初に運ばれてきたのは、カレー。スプーンですくい、口に入れてみる。ピリッとしつつもリッチな旨味が溶け込んでいて、立体的な味わいが広がった。チキンもほろほろで、溶けるようになくなる。上品さと親しみやすさと濃厚さが一体になっているカレーだ。

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続いて、南国の海のように青く透き通ったクリームソーダ。飲んでみると、シロップの甘さとシュワシュワした炭酸が化学反応を起こして、シンプルかつレトロな味がした。なるほど……! カレーとラッシーが合うように、甘味の強いクリームソーダもスパイスカレーに合う。予想外の相性のよさにビックリした。

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旅する喫茶店は、仲間と作り上げた店

「ゆったりと食事を楽しめました。Barに似た間取りなのに、少し不思議な感じがします」

感想を伝えると、「こだわっている部分なんですよ」と玉置さんは店舗作りの背景について教えてくれた。

「お客さんに快適に過ごしてもらいたいと思っていて。バーカウンターのスペースとテーブル席の間に、木製の大きな仕切壁を設けて、半個室にしているんです。ここはこだわったポイントのひとつ。店舗を設計してくれた友人と一緒に考えて作りました」

「友人と一緒にお店を作れるなんて、素敵ですね」と告げると、「ありがとうございます。実は、このお店は友人の支えがあるからこそ作れたお店なんです」と返答し、言葉を続けた。

「このお店作りのきっかけになった全国をめぐる出張喫茶は、自宅での飲み会での出会いから始まりました。旅先でのイベントの設営や写真撮影を手伝ってくれる友人は、僕がくすぶっていた頃からの親友のひとりです。お店を開いた時には、仕事を辞めてスタッフになってくれた友人もいます。旅する喫茶は、人とのつながりから生まれたお店なんです」

カルチャーと料理が好きだった幼少期

玉置さんは1995年生まれ、香川県で育った。足が速かったため、中学校で陸上部に入るも、練習を続けるモチベーションが保てず高校1年生で陸上部を退部。代わりにカルチャーに触れる時間が増えていった。

「映画、写真、建築、美術などが好きでした。地元から大阪に出て、写真集を買ったり、写真展に行ったり。東京に展示会を観に行くこともありました。しっかりと取り組んでいたわけではありませんが、高校3年生の時に、一眼レフカメラを手に入れて、グルメや旅行で訪れた場所の風景を撮っていました」

また、高校生の頃、玉置さんは、母親と妹と3人で暮らしていたため、家族の晩ご飯も作っていた。「料理を作って誰かに食べてもらうのは好きでした」と当時を振り返る。

ひとつの世界観を表現した芸術が好きで、料理が身近にあった影響もあり、玉置さんは次第に作品としての美しさを持つ西洋菓子に惹かれるようになった。趣味でお菓子を作っていくうちに、「パティシエになりたい!」と思い、洋菓子の専門学校への進学を決断。「周囲に反対されなかったんですか?」と尋ねると、笑いながら答えてくれた。

「友人のお母さんがパティシエをしていたので、進路を相談したんですけど、『儲からないよ』『厳しいよ』『やめたほうがいいよ』ってめっちゃ言われましたね。でも、誰かに言われてやめるなら最初から目指しません。そのままパティシエの道を進もうと思いました」

調理系の学校であるエコール辻大阪の洋菓子専門コースへの入学の手続きを進めた玉置さん。高校生活の終わりには、以前から興味を持っていたヨーロッパへひとり旅をしたそうだ。

「ロンドン・パリ・ブリュッセル・バルセロナを回ったのですが、ロンドンでは美術館や博物館、パリでは洋菓子店やレストラン、スペインではガウディ建築を観ました。自分の知らない土地に行って、好きなものに触れて。すごく刺激がありましたよね」

帰国後の2014年。大阪の学校へ通うために、神戸の祖母の家へ引っ越した。ここから玉置さんの料理人としての人生がスタートする……と思いきや、旅する喫茶をオープンするまでの道のりは、一直線ではなかった。

「向かないの連続」でどん底に

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「学校でお菓子作りの授業を受けているうちに、他の人よりも細かい作業が上手くできないとわかって。趣味で巡っていた大阪のカレー店に徐々に惹かれるようになり、『いつかは店舗を持ちたい』と思って学校を卒業した後は、カレー屋に就職したんです」

「やりたい!」と感じた方向へ走っていく。それは、玉置さんにとっての人生の指針でもある。しかし、今回の行先は、向いていなかった。働き出してみると、心身ともに疲弊するほど厳しい環境で、心はポッキリと折れてしまった。

「就職したそのカレー屋がとんでもなくハードだったんです。8時に働き始めて、退店するのが夜0時です。神戸に住んでいたので、通勤時間は往復で2時間。朝6時に起きて、家に着くのが1時、寝るのが2時になる生活です。しかも人間関係もシビアでした。将来的にはお店を持ちたいと思っていましたが、さすがに耐えられませんでした。辞める時に、『飲食店はこんもんよ。それは逃げているだけ』と言われて。飲食業界にがっかりして、入社から1ヶ月で退職しました」

次の仕事を探す気になれなかった玉置さんは、神戸の祖母の家に住みながら、レンタルビデオ店のゲオでフリーターとして働き始めた。

資金の工面をして上京

モラトリアム期間を過ごすこと、約2年。

玉置さんの心境に変化が訪れ始めた。趣味のフィルム写真を撮り、友人との交流を深める日々を送っていたが、単調な日々に飽き、「このままだとよくないな……」という想いが芽生え始めたのだ。

友人から「絶対に上京すべき」と強く勧められる機会も増え、玉置さんは、徐々に生活拠点を移すことを考えるようになった。しかし、状況はなかなか変えられない。

生活費を切り詰め、コツコツと頑張ろうとしたが、アルバイトの時給は800円程度。通帳の残高は月に1万~2万程度しか増えていかず、それを見ていると歯がゆい思いがより強まっていった。悩み続けて、半年が経った頃、「時間がもったいない」と考えた玉置さんはとうとう決断する。

「無理をしてでも上京しよう!」

貯金は十分には貯まっていない。それでも、親族に相談をしたり、お金を借りたりしながら、なんとか引越しの資金をかき集めた。その後、進む道を見つけたらすぐに動きたくなる玉置さんは、仕事を決めずに高円寺へ移り住む。21歳で退路を断ったこの選択は、新しい目的地へ導くきっかけになった。

人生の転機は友人の輪から

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上京した玉置さんは、SNSで繋がっていた友人の紹介で、携帯電話の販売をするスタートアップに就職した。その頃に始めたのが、お酒を買ってきて、手料理を作って自宅でふるまう、いわゆる「宅飲み」だ。

宅飲みの頻度は、1カ月に1、2回。「自分から誘うタイプ」な玉置さんの影響で、1LDKの部屋に10人以上集まることもあったという。

「宅飲みでは、色々な料理を出していました。その一環として、スパイスカレーを作り始めたんですよね。自分で本を買って、専門店でスパイスをそろえて。飲食店は続きませんでしたが、やっぱりカレーは好きでした。料理を作るのも、友達に喜んでもらうのも楽しいし、うれしかったです」

この宅飲みがきっかけで、転機が訪れる。

会社員になって約2年が経った2019年の3月、友人が、後に旅する喫茶の共同発起人になるtsunekawaさんを連れてきたのだ。tsunekawaさんはフリーランスのファッションデザイナーであり、クリームソーダ職人、さらにXで約19万人のフォロワーがいるインフルエンサーだ。

企画・デザイン・世界観の表現に強みを持つ彼との出会いにより、玉置さんの人生は新しい方向へ向かっていく。

「tsunekawaから、クリームソーダとスパイスカレーって相性よさそうだよねって言われて。僕もtsunekawaも旅と喫茶店が好きだったので、全国を旅しながら、クリームソーダとスパイスカレーを作る喫茶店ーー旅する喫茶を開こうという話になりました。この時にカレー職人を名乗り始めたんですよね」

「思っていた以上の反響」に胸が高鳴る

2019年4月。イベントの開催経験がある知り合いから高円寺の古民家をレンタルして、旅する喫茶はスタートした。開催日は、土曜日と日曜日の2日間で、営業時間はランチとディナーの両方。土曜日はクリームソーダのみ、日曜日はカレーとクリームソーダを提供した。

SNSでの告知は、大きな反響があった。12人が定員の小さな家は、ランチが始まるとたちまち満員になり、外には行列ができた。ランチで来たお客さんを案内できるのは夜になり、想像以上の手応えを感じていた。

「もしかしたら、すごいイベントになるかもしれない……」

可能性を感じたtsunekawaさんと玉置さんは、すぐに2回目の開催を予定。平成から令和へと変わるゴールデンウィークの3日間、西荻窪でお店を開いた。

営業時間はランチとディナー、提供メニューはクリームソーダとカレー。公式Twitterアカウントを開設し、予約制にすると、告知から1日でチケットは完売。「これだけ人が来るなら全国を回れそう!」と確信し、イベントを終えた後、同じ5月の土日に初の遠征を企画した。

最初の遠征地は、玉置さんの故郷の香川県。旅する喫茶の活動を知ったtsunekawaさんの知り合いが声をかけてくれて、その場所がたまたま地元だったそうだ。

ドタバタしたなかでつかんだ手応え

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東京での2回の開催で大きなトラブルはなかったため、香川県でも問題なくできるだろうと玉置さんは考えていた。ところが、準備から店舗を閉めるまで、予想通りにいかないことばかりだったという。

「調理に必要な寸胴鍋を現地に送り、地元の食材を使ってカレーを作ろうと計画していました。地元なので、なんとなくレシピは考えていたんですが、買い出しから大変で。借りた家が屋敷みたいに大きい古民家だったので、事前の予約上限を150に設定したのですが、予約が埋まってその分の材料を調達しないといけなかったので、時間がかかりました」

さらに、不測の事態は続いていく。

「会場では使えるはずのIHヒーターが使用できないというアクシデントがありました。なんとかその場で対応しましたが、カレー作りを始めるのが遅くなり、その影響でカレーを徹夜で煮込まないと間に合わず、完成したのは店舗がオープンする数十分前だったんです。提供をする時にもお客さんを90分くらい待たせてしまって。非常に反省が大きかったです」

写真を撮る間もないほど忙しく動きまわり、香川県への出張企画はなんとか終了。この時に、現在も続く、現地で食材を調達して当日にレシピを組み立て、カレーとクリームソーダを作るというフリースタイルな運営方法もできあがった。

地獄のオペレーションをやり遂げた玉置さんは、刺激も感じていて、「次はもっと改善しよう!」とやる気で満ちあふれていた。この時の売上は約25万円。経費と東京からの交通費を含めて収益はとんとんだったが、それでも香川で150人のお客さんを呼べたことに手応えを感じていた。

イベントを終えて、月曜日の朝。くたくたに疲れた体で飛行機に乗った玉置さんは、興奮が忘れられなかった。香川から東京の職場へ出社する空の上で、「全国を旅しながら生きてみたい」と考えるようになった。

コロナ禍による店舗計画の延期

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旅する喫茶を初めて半年後の2019年12月。クリームソーダとスパイスカレーを提供する旅は、東京でも地方でも成功を収め、ぐいぐいと知名度を伸ばしていった。イベントは賑わい、SNSでの評判も上々。旅先で新しい人や文化に出会うこと、お客さんに料理を振る舞って喜んでもらうこと、その両方が楽しいと感じていた玉置さんは、さらにアクセルを踏みこんだ。

「旅する喫茶にもっと打ち込みたいと思い、旅の拠点となる店舗を作るために、4年間勤めた会社を退職したんです。ただ、タイミングが悪い時期と重なりました。2020年に店舗をオープンする予定だったのですが、コロナ禍に入ってしまって……。すべての計画が流れました。でも、やっぱり自分のやりたいことなので実現したいですよね。リスタートできる日を待つようにしました」

緊急事態宣言が明けた2020年6月。旅する喫茶はとうとう東京で再開した。イベントを開催すると、準備したカレーとクリームソーダは完売。以降、東京で月に2回のペースでお店を開きながら、7月には再び全国への出張も始めた。

そして、11月。中断期間を挟みながらも、2019年の4月から1年半で北海道から沖縄までの13都道府県・22カ所をまわり、機が熟したと判断した玉置さんとtsunekawaさんは、店舗のオープンを決断し、クラウドファンディングに挑戦した。

「クラウドファンディングの結果は予想以上でした。スタートして、1日で200万円の目標額を達成して、最終的には669万円もの支援をいただきました。支援いただいた方には心から感謝しています」

迷っている仲間の背中を後押ししたい

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ここで、tsunekawaさんと玉置さんの役割について触れておこう。旅する喫茶は、tsunekawaさんと玉置さんのふたりが発起人であり、共同店長だ。重なる部分もあるが、担っている領域は異なる。

クリームソーダ職人のtsunekawaさんは、クリームソーダの開発に加えて、会社の経営、ブランディング、マーケティング、グッズの企画と開発を主に担当している。「株式会社旅する喫茶」の代表取締役を務めるのもtsunekawaさんだ。

一方で、カレー職人の玉置さんは、副社長として、飲食店の運営、飲食メニューの開発、旅する喫茶の企画・運営と現場サイドのリーダーを担っている。現在は、店舗もうまく回るようになり、イベントの開催にも慣れた。そのため、スタッフの挑戦を後押ししたいと考えているという。

「独立したいと考えているスタッフがいるので、オープンできるように一緒に動いているんです。僕もかつて『お店を持ちたいけど、現実的ではない』と思って、半ば諦めていた過去があります。その気持ちがわかるからこそ、『お店を持ちたい』という想いを持った仲間の背中を後押ししたいです。

ゼロから店舗を作り上げていくって、どうしたらいいかわからないんですよね。接客、メニュー作り、お店づくり、運営……。『こういうふうに進むと独立の道があるよ』と伝えたいです。今後どうやって進めるかはまだ決められていませんが、スタッフの夢を実現するためのサポートをできればと思います」

ゆくゆくは日本各地に旅する喫茶の店舗を作って旅したい

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2021年の4月。旅する喫茶は、カルチャーの街・高円寺にオープンした。オープンから2年が経ち、店舗が落ち着いた今、玉置さんはやりがいを感じている。

「好きな飲食を生業としながら全国へ旅をする日々は、自分の生活スタイルに合っていると思います。また、自分が最初に働いたカレー屋で挫折したので、スタッフが働きやすいように、就労時間や人間関係には注意しながらシフトを組んでいます。みんなに少しでも幸せになってほしいんですよね。それぞれの価値観を尊重しつつですが、困っていることがあったら手助けもしたいので、プライベート面も気にかけるようにしています」

また、2023年には宿泊できる拠点として、福岡のうきは市に2店舗目がオープン。しかし、福岡の拠点は大雨で床下浸水の被害に遭ったため、「まず、福岡の拠点が軌道に乗るためのサポートをしないとですね」と語る。

もし福岡のお店がひと段落したら、次は何をしたいと考えているのだろうか。玉置さんに質問を投げてみた。

「個人的には、全国に点々と拠点を作っていきたいです。山側のうきはを作ったので、次は地元香川で瀬戸内海が見えるような場所にあったらいいなとか、北海道で生活したいとか、東京にもう1店舗あったらもっといいなとか、自分の人生と共にいろいろ考えています。全国の拠点を巡りながら生活できたらと思うとワクワクしますよね」

最後に、玉置さんが目指す未来について、語ってくれた。

「漠然とした想いですが、社会のためになることをしていきたいです。僕自身、友人、仲間、お客さんとのつながりに助けられてきました。なので、困っている人がいたら助けたいです。人との縁を大切にしながら、手の届く範囲で、幸せに暮らせる人を増やしたいです」

執筆
中たんぺい

1989年生まれ、群馬在住のフリーライター。ビジネス、キャリア、YouTube、グルメなど多くのジャンルで記事を執筆。「おもしろい」を掘り起こすために、社会のタテ・ヨコ・ナナメを動き回る。趣味は、サウナとうどん巡り。

編集、稀人ハンタースクール主催
川内イオ

1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、イベントなどを行う。

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稀人ハンタースクール

ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンター、川内イオが主催するスクール。2023年3月に開校。世界に散らばる27人の一期生とともに、全国に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」を目指す。
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