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アゲな気持ち、悩んで焦っていた気持ちに寄り添ってくれる包

ASOBOiSMのクレープくらい甘酸っぱい話

author: 舩岡花奈date: 2025/11/14

生クリーム、バナナ、チョコ、いちご……。 魅力的な具材をたっぷり包んでいるクレープ。 学生時代に友達とおしゃべりする口実で食べたり、ちょっと背伸びして街に出かけたときに食べたり、仕事帰りに自分へのごほうびとして買って帰ったり。 クレープは、いろんな時間や気持ちに寄り添ってくれる気がする。

もしかしたらクレープって、甘酸っぱい記憶ごと包み込んでくれる食べものなのかもしれない。今回、そんな甘酸っぱい話を聞かせてくれたのは、シンガーソングライター・ラッパーのASOBOiSMさん。これまでアーティストと会社員の2足のわらじを続けてきた彼女は、30歳を迎えた今年、ついに「音楽1本で生きる」ことを決めたという。そんな節目となるタイミングで原宿・竹下通りのマリオンクレープを片手に、甘くて切なくて、ちょっと誇らしいあの頃の話をしてもらった。

ASOBOiSM

シンガーソングライター・ラッパー。2017年より“ASOBOiSM”名義で活動を開始。ポジティブからネガティブまで揺れ動く感情を ストレートに言葉へ落とし込む楽曲が支持を集める。2025年6月に『solo』をリリース。
Instagram:@asobo_ism
X:@asoboism

ピュアな10代を包み込む、生クリーム山盛りクレープ

──今日は原宿・竹下通りにあるマリオンクレープさんに来ていただきました。思い出のお店だとか?

ASOBOiSM:そうなんです、懐かしい〜! 中学3年生のときに初めて友達と原宿に来て、ここでクレープを食べたんですよ。当時めちゃくちゃ嵐が大好きで、『秘密の嵐ちゃん』のセットを見るために、地元から電車で1時間かけて東京に出てきたんです。

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──地元はどちらなんですか。

ASOBOiSM:私は神奈川県の戸塚が地元なんですけど、当時の遊び場って近所にあったダイエーとか川とか公園とかで。100円ショップの前にある盛れないプリ機で撮って、雑貨見て、だらだらしゃべって、それが最高の遊びでした。だから原宿に行くなんて一大イベント! 竹下通りでブランド風の時計を安いし可愛い〜ってノリノリで買ってたけど、今思うといやパチもんやろ! だったな(笑)。でも当時の私は、ほんとピュアでかわいいな。

 ──その帰りにマリオンクレープへ? 

ASOBOiSM:そうそう! 友達とトッピングもりもり、生クリーム山盛りのやつを食べました。それまで「クレープ=ダイエーのなかにある店」だったので、竹下通りのクレープはもう別物。テンション上がりまくっていたと思います。

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──その頃からアーティストになりたい気持ちはあったんですか?

ASOBOiSM:全然なかったですね。でも、なんとなく“何者かになりたい”って気持ちだけはずっとあったんですよね。ただ、そう思っていても恥ずかしくて、目立ちたいとか唯一無二でありたいとか周りには言えない子でしたけどね。言えないけど、滲み出てたとおもいます(笑)。

──そこからどうやって音楽に出会ったのでしょう?

ASOBOiSM:はじめは成り行きで中学の吹奏楽部に入ったことがきっかけで。そこで打楽器が楽しいって思うようになって、高校では軽音楽部でドラムを叩いていました。親の仕事の影響もあって、高校の1年間は留学していたんですけど、ステイ先の高校でもマーチングバンドに所属していましたね。

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──留学先でも音楽に関わる活動をされていたんですね。

ASOBOiSM:最初は英語が話せないし、学校生活が楽しくないしマジ行きたくない! と思っていました。でも、マーチングバンドの子がめちゃくちゃ優しくてたくさん話しかけてきてくれたこともあって、だんだん生活に馴染んできて。言葉は通じなくても音楽を通じて友達ができた経験は、相当自信に繋がりましたね。

がむしゃらな自分を支えてくれたクレープ

──留学を終えて、日本に戻ってきてからは?

ASOBOiSM:ここから一気に音楽が人生の中心になっていきました。大学に入ったばかりの頃、友達がギターを弾いてるのを見て「かっけえな」って思って。家にあった父のギターを持ち出して、自分でも弾き始めたのが最初です。Fコードすら抑えられなくて、知ってるコードだけで曲作ったら、友達がめっちゃいいじゃん! って言ってくれて。それで完全に調子に乗って、そのまま渋谷のライブハウス「ミルキーウェイ」のオーディションに行っちゃいましたね。

──勢いでライブハウスに?

ASOBOiSM:ギター担いで並んで、私の曲、聴いてください! って感じで。ギター以外にも高校の軽音のノリでサンボマスターをドラムで叩いてみたら、面白いじゃんと評価してもらえて、シンガーソングライター・たまなとして事務所に所属できることになりました。マジで上がった(笑)。

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そこから一気にライブに出るようになって、19〜20歳の頃には全国流通のCDを出させてもらって、ワンマンライブも決めて……「あ、私もう音楽で生きていけるわ」って本気で思ってました。若かったこともあって、マジ余裕じゃんって。

──完全に順風満帆ですね。

ASOBOiSM:CD出せていたし、もう才能あるじゃん、私って思っていたんですけど、だんだん現実がわかってくるんです。

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──実は、全然ラクじゃなかった?

ASOBOiSM:マジ大変(笑)。まず、ワンマンをやるって決めた瞬間にお金の現実を知るんですよ。箱代、チケットノルマ、動員数……埋まらなかった分は自腹ねっていう、ライブハウス界の暗黙のルールがあったりして。

──学生にはめちゃくちゃ大変ですね。

ASOBOiSM:え、私が払うの? って(笑)。数十万円分のチケットを売りさばかないといけないから、友達に「お願いだから来て……」って頭下げて、親にも買ってもらったり、自分で補填したり。

──それでも続けたのは、やっぱり音楽が好きだったから?

ASOBOiSM:好きだからこそ辞められない。でも、音楽だけじゃ生きられないからバイトをめちゃくちゃしてました。ユニクロ、銀だこ、官公庁のデータ入力、工場の梱包、英語の先生……時給高いものを転々っていう感じで。

──かなりサバイブしていますね。

ASOBOiSM:めっちゃバイトして働いて、夜中とか空いている時間に音楽してみたいな生活でした。自分がヘロヘロなときって、なんかもうヤケクソになって甘い物食べたくなるんですよね。なんか「クレープ食べてー」みたいな。

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ASOBOiSM:バイト終わり、駅の近くにあるクレープ屋で買って、ひとりでカウンターに座ってもくもくと食べるみたいな。

──友達とワイワイじゃなくて、ひとりで?

ASOBOiSM:そう。写真撮らない、映えとかじゃない、それで自分の心の帳尻合わせみたいな感じでした。自分の機嫌は自分で取る的な感じかな。懐かしい〜、あの頃は、クレープを食べると“まだ大丈夫”って言い聞かせてた気がします。そうやって、自分を保ちながらガムシャラに活動していたんですけど、だんだんシンガーソングライターとして悩むことが増えていったんです。

──というと?

ASOBOiSM:ライブもできるし、CDも出せた。でも、自分のリアルとちょっとズレてる感じがずっとあって。ライブして、物販売って、ありがとうって笑って……ちゃんと成り立ってはいるんだけど、これが私のやりたかった音楽の姿? って心の奥でずっと引っかかってたんです。

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ASOBOiSM:事務所でも数字が出ないと優先度が下がって、心置きなく喋れる人も減っていくんです。あ、私ってこのまま流れて埋もれるのかなって。しかも、作っていた曲も恋愛ソングとかが多くて。「いや、私もっとドロドロしてるし、弱いし、怒ってるし、全然出してないじゃん」って思って。で、悩んだ結果、いったん当時いた事務所を辞めることにしたんです。

──シンガーソングライター・たまなとしての活動は、そこで幕を閉じたんですね。

ASOBOiSM:そんな悩んでいるときに、 MOROHAさんのライブを観たんです。アフロさんの言葉が、逃げ場なしでぶつかってきて。「これが本音を歌うってことか」って、胸を殴られた気分でした。マジで衝撃で、私もこんな風にリアルを歌いてえ! みたいな(笑)。

──そこからヒップホップも取り入れた今のASOBOiSMさんのスタイルになっていくんですか?

ASOBOiSM:ライブをきっかけに、日本のヒップホップにどんどんのめり込んでいきましたね。当時発売していた雑誌のヒップホップ特集を買って、掲載されているアーティストを片っ端からディグってみたいな。その時もガムシャラでしたね。コレだ! って感じで。

酸いも甘いも全部包み込んでくれるクレープ

──では、ここからは“ASOBOiSM”としての歩みを振り返らせてください。

ASOBOiSM:2017年にASOBOiSMとして再スタートしました。最初は完全ソロ。制作も現場の段取りも、ぜんぶ自分で回すしかなくて。これまた、めちゃくちゃ大変でした。

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ASOBOiSM:また、自信をどんどん無くしていたんですけど、SUMMER SONICのオーディションでソニーさんに評価していただいて、育成枠として事務所に所属することができました。やっぱり、チームで動ける安心感もあったし、挑戦できる幅は広がりましたね。でも、同時に数字がすべての世界に入った感覚もあって。自分の存在意義が、売上や再生回数みたいな目に見えるものに紐づいていくのが、じわじわ怖くなってしまって。

──キャリアが長くなるにつれて、焦りもあったとか?

ASOBOiSM:最初はやってやんぞ! って気持ちで突っ走っていたんです。でも、事務所の中でプライオリティを感じる瞬間もあったし、周りの友達がメジャーデビューしていくのを見てなんで私はこうなんだろうって比べちゃう。事務所には6年いたんですけど、年々、心が削れていく感覚があったな〜。

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ASOBOiSM:作品を出しても、ここでお金をかけられないのは自分の実力が足りないから? って自分を責めちゃう。大人たちの反応を逐一気にして、私って必要とされてる? みたいな。気づいたら、リスナーじゃなくて事務所の人たちに承認されるために音楽やっていて、いつか事務所の人にプッシュしてもらえれば、売れるって思い込んでたんだと思います。

──そんな中でも、派遣や契約社員の仕事を続けていたとか。

ASOBOiSM:学生時代からずっとですね。アーティストとしての活動しながら生きていくための仕事もするっていう。

──そんななか昨年、事務所を退所されましたね。

ASOBOiSM:ちょうど30歳になる節目の歳ということもあって一区切りつける決断でした。誰かのスケジュールの中で動くんじゃなくて、自分の足で進みたかった。関わってくれた人には感謝しかないけど、このままだと自分が壊れるって思ったんです。

──今年は働き方も大きく変わったとか。

ASOBOiSM:勤めていた会社も辞めて、音楽一本に切り替えました。怖さもあるけど、舵を自分で切れるのはやっぱり気持ちいいなって。

──今日は10代、20代それぞれに包まれたASOBOiSMさんの当時を伺いました。

ASOBOiSM:普段は「今」を生きているから昔の思い出って振り返るタイミングないけど、久しぶりに原宿でクレープを食べて、中学のピュアな自分を思い出したり、ガムシャラに走り抜けてきた20代を思い出したり、なんか浸っちゃうな〜。

今回みたいに立ち止まって振り返ってみると、音楽を始めた10代〜20代のがむしゃらな日々には、人に胸を張って言えないようなドロドロした感情も、甘酸っぱい瞬間も、全部つまっていたんだなって思いました。そういう“混ざりもの”ごと包み込んでくれるのが、なんだかクレープみたいで。ぐちゃっとしてても、きれいじゃなくても、ちゃんと自分の一部になっていく。今回話しながら、そんな過去の自分ごと抱きしめて、また前に進めそうだなって思えました。

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ASOBOiSM:昔は「できてない自分」ばかり見てたけど、今は「そのままの自分」を肯定できるようになってきた。何も生み出せてない日も、自分を好きでいたいって思うようになったんです。人生のテーマは自己愛、まだ道半ばですけど。

──30歳の今、あの頃の自分に何か声をかけるとしたら?

ASOBOiSM:ちゃんとやれてるよって言ってあげたい。20代の私は、正しい方向に進めてるか分からなくてずっと悩んでたから。でも、歩幅が小さくても、ちゃんと進んでた。あの頃の努力が今の私を作ってるっていってあげたいですね。……まあ、生クリーム山盛りのクレープは、もうちょっとキツいっすけどね。ちょっと大人になったってことでいいかな(笑)。

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Photo:笠川泰希
Text&Edit:舩岡花奈

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Beyond編集者・ライター
舩岡花奈

1998年生まれ、山形県出身。編集者・ライター。最近ハマっていることはランニング、登山。ペーパードライバー卒業を目指して奮闘中。好きなことは人の日記を読むこと。
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