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林信行が語るArtistic Inspiration vol.1

アートは狭い視野からは見えてこない危機を浮き彫りにする

author: 林 信行date: 2021/05/12

コロナ禍で仕事だけでなく、生活のあらゆる側面でデジタル技術を用いた効率化が一気に進み、それと比例して健康長寿のためのバイオテクノロジーも加速度的な進化を続けている。
 だが、パソコンの普及が我々をかえって忙しくし人間性を奪ったように、テクノロジーの進歩が必ずしも我々を豊かにしてくれるとは限らない。
 目先の欲や便利さだけに騙されず、自分や未来の世代が豊かな一生を過ごすことをほんのちょっとでも大事に思うなら、一度、現代社会の水槽というから飛び出して、外から眺める視点を持つ必要がある。
 「旅」や「アート」は、そのためのインスピレーションを与える装置だ。

石上純也作「ソラトツチニキエル」の前で踊る高村月。Hokuto Art Program Vol.0にて撮影。
BLP-2000D/BCL(Georg Tremmel、福原志保、2019)遠からず個人で作れるようになるであろうDNAプリンターを模し た機械。実際には「DNAシンセサイザー」と呼ばれることが多いが、このような機械は現在、研究開発が進んでおり製品化されたものもある。2018年にEYE OF GYREで開催された「2018年のフランケンシュタイン バイオアートにみる芸術と科学と社会のいま」展にて撮影。

人智を超えたAI技術や神の領域に足を踏み入れ始めたバイオテクノロジーで、社会の常識が大きくアップデートされつつある中、アートが持つ役割がますます拡大しているように思う。アートといっても、昔の人の絵画や音楽作品ではなく、我々と同じ時代を生きるコンテンポラリー(現代)アーティストの作品のことだ。具体例をあげよう。

例えばBCLというアートユニット(ゲオアグ・トレメル+福原志保)が2017年に作った「BLP-2000D」という作品。展示されているのはカタカタと動くプリンターのようなもの。作品の設定では、このプリンターは、いずれは遠くない将来個人でも作ることができるようになるDNAプリンターをイメージしたもの。

カタカタと音を立てながら作成したDNAをレシートの紙のようなものに注入している。印刷しているのは大きなパンデミックを引き起こすウィルスのDNAだという。DNAプリンターの利用では、政府などで管理してバイオテロ行為などを避けるべく、どんなDNAを合成しようとしているか管理する必要があると言われている。だが、3Dプリンターが個人でも作れるようになったのと同様に、DNAプリンターもテクノロジーの進歩で個人が自宅で作れるようになる。そうなったとき、政府はこれを管理することができない。

鑑賞者がバイオテクノロジーについてどれだけ詳しいかによって、単純に「そんな凄い技術があるのか」と驚くだけの人もいれば、作品に一定以上のリアリティを感じて背中がゾっとする人、どうしたらこの事態を防げるだろうと考える人など思うことは人それぞれだろうが、見る人にそうした何かの感情を沸き立たせてくれる。

文明批評家のマーシャル・マクルーハンの言葉に「芸術は、いわば危険早期発見装置である」というものがある。アートは時に、現在の常識という偏って狭い視野からは見えてこない危機を浮き彫りにしてくれる。

先に紹介したBCLの作品は、現代アートの中の「バイオアート」というジャンルに属するもの。最近、AIに加えて、人類の寿命を大きく変え、人々の人生に大きな価値変化をもたらしそうなバイオ技術もしばしばアートのテーマとして取り上げあげられる。

工藝族車/Human Awesome Error(蔡 海、福原志保、2019)暴走族にとって憧れの伝説のバイク、CBXを日本の金属工芸や漆工芸や螺鈿編の職人技が改造。取材時、たまたま来ていてこの作品を初めて見て感動した東京旧車會のメンバーが、バイクに施された鍛金細工のどこが凄いかを筆者に熱弁してくれたのが強烈に印象に残った。新河岸旧車會の本部にて撮影。

だが、もちろん、アートが伝えるのはテクノロジーの問題だけではない。先のBCLの1人、福原志保は、蔡海(チェウミ)というアーティストと組んでHuman Awesome Error(HAE)という別のアートユニットにも参画している。こちらのユニットが最近作っているのが「工藝族車」という作品だ。

彫金や鍛金といった日本の伝統工芸の技術は、日本の重要な文化として崇められ、それなりに高価な値段がついても寵愛されることが多い。一方、社会のならず者として忌み嫌われている暴走族。実は彼らにも彼らなりの美学があり、自らのバイクを自分の美学で「族車」と呼ばれる様式に改造・装飾する文化がある。

高尚と思われている工藝の職人たちと低俗と思われている暴走族。これら2つを融合して、日本の工藝の最高峰の技術を使って、生み出されたのが「工藝族車」だ(実際には旧車會と呼ばれる暴走族の美学を引き継いだ合法的な団体とのコラボで生み出している)。プロジェクトを通して両者を繋いでみると、自分たちでものを作っているだけあって、自分で族車を改造している人たちは、職人技の凄さを筆者なんかよりもずっとよく理解している。技を極めて装飾を施すという点において、正反対に見える両者に実は通底している部分も多いのだ。二極化し分断した社会に大きな揺さぶりをかけたこの作品は、出来上がった族車だけでなく「作る過程」そのものが社会に対して何か大きなヒントを与えてくれている印象がある。

2020年の印象を変えた2晩

鳳 / 凰(Ho / Oh)/名和晃平(2019) 2019年にリニューアルされた大丸心斎橋店の象徴となるべく未来定番研究所がプロデュースし製作された。アーティストの名和晃平が炎をイメージして3Dモデリングした後、京都の仏師が木彫として彫り、漆を塗り、金とプラチナの箔で仕上げた。明治神宮の百周年を祝う明治神宮鎮座百年祭の間だけ明治神宮の南門に飾らレ、大勢の人に感動を与えた。

アーティスト達は、我々を縛る経済合理性や常識と言った枠組みの外側で作品をつくる。そうした作品に触れると、まるでどこか知らない場所に旅をしたような非日常感を感じ、自分自身ともいつもとは違う角度で向き合うことができる。

COVID-19の感染拡大で、旅行などの移動が大きく制限された2020年。ともすれば灰色の思い出しか残らなかったこの年、私に元気を与えてくれたのもアート作品だった。実はコロナ禍にも関わらず、かなり色々な展覧会に足を運んで色々な作品を見てきたが、何といっても印象的だったイベントが2つある。

1つは、百年後に東京の森になることを目指して造られた明治神宮の100周年を祝ったイベント。明治神宮の奥の本殿には、世界的にも注目を集める彫刻家、名和晃平さんが作った2体の鳳凰を象った作品「Ho/Oh」が飾られた。炎をイメージした2体の鳳凰は最新の3Dモデリング技術で設計され、それを京都の伝統工芸師が形にした。作品の裏に伝統と未来の技術をつなぐ背景があることを知っていた私には、明治神宮鎮座百年大祭のコピーである「はじめの百年。これからの千年。」をまさに体現した作品に思えた。

ツチトソラニキエル/石上純也(2020) 2020年末に開催された一晩だけのイベントHokuto Art Program Vol.0で、石上純也が清美芸術村吉井財団の理事長、吉井仁実に「消えていく建築がみたい」と言われてつくった。わずか数時間だけで溶けて消えた建築でありアート作品。石上は溶けた氷が崩れて事故につながらないように縮尺模型をつくって研究を繰り返し、真ん中から崩れずに溶けるように空気の隙間まで綿密に設計した。イベント当日は、CHARAが溶ける音をマイクで拾って曲を演奏し、高村月がダンスパフォーマンスを披露した。

もう一夜は、真逆の作品だった。山梨県北杜市でかなり限られたゲストを招いて行われた一夜だけのアートの祝祭、Hokuto Art Program Vol.0。メイン会場となった清春芸術村の理事長であるギャラリストの吉井仁実さんが気鋭の建築家、石上純也さんに出したオーダーは「消えていく建築を見てみたい」というもの。建築というのは一度、建つとその後、何十年も残り続ける。最初から消えて無くなることを前提とした建築をつくるとしたらそれはどんなものになるのか。まさに経済合理性や商業主義の中からは生まれてこない、アートだからこそ可能な試みである。

こうしてつくられた作品「ツチとソラにキエル」は、中に空洞がつくられ可燃性の木材を詰め込んだ巨大な氷の壁だった。職人技を使って完成させた後、1時間もしない間にガソリンをかけられ点火され、バチバチと火の粉を散らしながら溶け崩れ、3時間後には大量の水と灰に変わっていった(私がTwitterで「氷と炎の建築」と呼んだのが、きっかけで、それがそのまま通称となっている)。

氷が溶ける間、ゲストはミュージシャンのCHARAが燃え上がる音をマイクで拾いながら披露した音楽ライブパフォーマンスやダンサーの高村月さんが即興のダンスを楽しんだ。かくしてたった3時間しか存在しなかった建築物は、訪れたゲストにとって一生忘れることのできない印象を残した。

大切なことは合理化より熱量と教えてくれた石岡瑛子

石岡瑛子展 血が、汗が、涙がデザインできるか/東京都現代美術館 館内に響く石岡瑛子のインタビュー音声。日本が最もエネルギーに溢れていた時代に作った数々の広告ポスターに始まり、映画の舞台美術、マイルス・デイビスをはじめ世界の錚々たるミュージシャンと作ったアルバムカバーや映像作品、映画。1人の人間が、しかも、職業差別を受けることも多い女性でありながら、これだけの活躍をした人がいるということに多くの人が心を打たれ、後半は連日長蛇の行列ができた。館内が一切撮影禁止だったのも、来場者にかえって鮮烈な印象を残した。

2020年といえば、もう1つ語らなければならない展覧会がある。東京都現代美術館で開催された「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」だ。これはアートというよりはグラフィックデザインを中心とした展覧会ではあったが、タイトルが指す通りの合理化された仕事からは出てくることのない、とてつもない熱量、徹底した完璧主義で形になった仕事というものが、人々にどれだけ大きな感動を与えてくれるかを改めて認識させてくれた展覧会だった。

石岡瑛子が手掛けた作品1つ1つの凄さ、その1つ1つの奥から見えてくる膨大な熱量が評判となり、予約制だった展覧会は開催期間途中でチケットが売り切れとなり、コロナ禍の東京で連日、当日券を求める数時間待ちの大行列をつくるほど話題になった。

*

これからデジタルトランスフォーメーション(DX)やAIによる効率化、合理化がさらに進むことは避けられないだろう。ビジネス書で学べるような知識に基づいた判断は、やがて機械任せになり不要になる。だが、それが果たして自分が求めている合理化なのか、望む効率化なのか、我々はそれを正しく判断するためにも、今、常識だと思っている水槽の中の世界から一度外に飛び出して、自分が一体どんな価値観を持つ人間なのか、時折、再確認する必要がある。

そのために自分発見の方法である「旅」と「アート」は、これからますます重要になる。

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テクノロジージャーナリスト
林 信行

未来の風景を求めて1990年にテクノロジージャーナリストとして活動を開始。パソコン、ネットインフラ、ネットビジネス、スマートフォン、タブレットの最新トレンドや企業動向を取材し、さまざまな媒体で発信。アップル、グーグルなど米国IT大手の経営者やデザイナーの取材で知られる。iPhone登場後は、テクノロジーと良いデザインの両立の重要性を訴え企業向け講演やコンサルティング活動を開始。現在はAI全盛時代を見据え「22世紀に残すべき価値」を基軸に現代アート、地域と伝統、教育など広範なテーマを取材。ソーシャルメディアを中心に発信中。REVOLVER社社外取締役、ダイソン財団理事、金沢美術工芸大学客員教授。
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