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Interview

競争という病理がはびこる世界で、僕たちができること

覆面小説家「麻布競馬場」は現代を生きるMZ世代をどう見るか

author: 田中 謙太朗date: 2022/12/29

年収500万円、身長170cm以上、大卒、正社員、長男以外…“普通の男性”の条件を全て満たす人の割合はわずかに数%である。2021年の夏頃にこすられすぎて、“普通の男性”でググると真っ先に出てくる星野源はどんな気持ちだろう、とふと思う。

普通が普通ではなくなってしまった世代の悲哀が、“普通の男性”という言葉に詰まっている。そんなミレニアル世代、Z世代(以降、MZ世代)たちの普段は口にすることのない負の感情を代弁するように、Twitterを舞台として活動する小説家が現れた。Twitter小説家「麻布競馬場」氏はMZ世代たちの生きる現代をどう考えるのか。

「昔からハーゲンダッツとかビアードパパみたいな、そんなわかりやすいものが好きだった。私の価値をわかりやすく感じさせてほしい。私のそんな思いを察してか、彼は私にわかりやすく愛を注いでくれた。」(『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(麻布競馬場 著、集英社)中『青山のアクアパッツァ』より引用。)

僕がはじめて「麻布競馬場」の名前を見たのは、今年の1月が終わりに近づいた頃だった。何気なくTwitterを開いたとき、双子の女性の誕生日を祝う文字だけで構成されたツイートが目に入る。誕生日という話題には似つかわしくない「無様」という文言に目をひかれてタップした。読み進めていくと、そこには「名も知らぬ誰か」の人生の回顧録がつづられている。ゾッとするような脳裏に焼き付くリアリティによって、「彼女」の人生に横たわる閉塞感が濾過されずに伝わってきた。そのツイートこそ、のちに氏の著作の中に名を連ねる『青山のアクアパッツァ』だった。

横っ面を張られたような感覚が消えず、その日はなにもかも放り出して布団にもぐってしまった。その後、日を改めて3回読み返し、4回目にフィクションであることに気づいて、僕は猫のアイコンを携えたTwitter小説家「麻布競馬場」の“フォロワー”の一人になった。

覆面Twitter小説家・麻布競馬場氏のプロフィール欄の記載は「1991年生まれ」のみ。これまでの経歴、本名、容姿など、全てが謎のままTwitterやnoteにてショート・ストーリーを書き続け、書籍を刊行するに至った。

この度上梓された『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』は、「麻布競馬場」氏の処女作だ。本作はいわゆるショートショート形式の短編集で、20代後半から30代前半の高学歴ホワイトカラーたちが主人公となり、“港区的価値観”の見え隠れする固有名詞と、その雰囲気とは真反対の陰鬱な内面を描いている。その作風は、文字を主体とするTwitterやnoteなどのSNSで圧倒的な支持を得た。巻頭を飾る『3年4組のみんなへ』の冒頭のツイートは14万6千件の「いいね」を獲得している。

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 『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』麻布競馬場 著、集英社

いいねの数ではなく、載せたい作品を選んだ

これまでTwitterやnoteなどに書き貯められた何十ものショート・ストーリーの中から19編を選定、書き下ろしの1編を加えた計20編で構成されている。それぞれの作品を見てみると、「いいね」や「リツイート」の多さで選ばれたわけではなさそうだ。麻布競馬場氏はこう語る。

「元々は本を出すから書く、という流れではなかったんです。基本的には暮らしの中で自分が見たものや想像したことを作為なく書くうちに本が出る、という流れでした。自分の中で思いついたことを誰に頼まれるでもなく書いていた、というイメージです」

担当編集者の集英社ノンフィクション編集部の稲葉努氏は次のように加えた。

「“いいね”の数に関わらず編集者の目線でクオリティを判断し、“本に収録したい”かどうかを重視して選んでいます」

麻布競馬場氏は「ネットに漂っていたものが本として形になるという過程そのものが面白くて、自分の表現を突き通すよりも、プロの編集者がどんなことを考えながらどんな編集をするのか、横で見ていたかったんです。だから、“僕は稲葉さんに一任します”と100回くらい伝えてました(笑)」と述懐する。お互いへの信頼関係を基盤として成立する伝統的な著者と編集者の関係は、“Twitter小説家”という単語に漂う現代的でドライなイメージとは対照的だ。

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 著者の麻布競馬場氏(左)と、担当編集の稲葉努氏(右)。二人の間の強い信頼関係がこの作品を生み出した

自分が頑張れば何かが変わる、極大値としての大学受験

20編ある作品の中で、その多くにおいて大学時代がキーポイントとなっている。大学時代がその後の人生にチラつく閉塞感のはじまりとなっているのに、大学時代の描写が少ないことも印象的な構成だ。

「この本は大学1年生の4月、いや、大学受験の合格発表直後の高校3年生の2月が人生のピークの人たちの本なんです。ありきたりな大学という空間の中では、すごく特別なことをしない限り、最初は意識の高かった学生でも、惰性のぬるま湯に浸かって、皮膚がふやけていってしまいます。

でもよく考えると、社会のことがわからない年齢のうちに “自分が社会でどうなりたいか”なんて分かるわけがないですよね。そんな状況で大学や、あるいはその先の就職先を決めて、色んなことを我慢しながら一生同じところになんとなくいる、という人が多いんだと思います。

競争の激化が原因といわれている、中国の“寝そべり族宣言”がわかりやすい例ですが、頑張っても何も得られないし、そもそもやりたいこともないし……という社会全体の絶望感を学生もうっすらと感じているんじゃないかなと。自分が頑張って何かが変わることの極大値としてあるのが大学受験なんです。

意図して書いたわけではないけれど、ぼんやりと社会に対して持っていた不安や不満が滲み出た形です。この本の中には18歳までの努力の証である大学時代の話は少ないのに、どこを受けたか・受かったかとか、そういう情報はたくさん入っています。“大学生活が抜け落ちているということ”そのものが社会批判になっているかもしれないですね」

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“いい子”なのは“いいこと”?

作中で登場する主人公たちは大人の言うことを聞く、いわゆる“いい子”だ。大人の言うように紙の上で戦い、大人の言うように結果を残してきたいい子だった。そして、そんな彼らが彼ら自身に対してモヤモヤとした感情を募らせるのはその大人がいなくなってしまったときだった。

「“いい子”というのは全て他人軸で、他人のモノサシに合わせていればいい。自分でどうしたいか考えなくていいから、“いい子”ってとてもラクなんです。失敗しても結果に責任を負わずに、「でも他人のために頑張りましたよ」と、過程としての頑張りを主張できるんです。

そういう、いい子的価値観を子どもに対して求めることが多いですよね、いい子であればあるほど自分で決めるヒマがなく、人のモノサシで測られる日々が曖昧に続く」

経済的な尺度では、と前置きをすると次のように続けた。

「明確な意志があるかないかで差がつきますよね。やりたいことがないから何となく就活してなんとなく有名な会社に入ってしまう人と、例えばやりたいことで起業して成功している人。30歳くらいでその差に気づくんですけど、そのときにはもはや、新しい自分も描けないし、受験や就活とか、これまで勝つことでしか表現してこなかったから、弱い自分でもいられない。袋小路に入った状態になってしまっている。30歳っていうのは、いわば“人生のネタバレ”の年齢なんですよね」

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“センスの間接民主制”が世界を回す

麻布競馬場氏は作中にて、数多の固有名詞を巧みに操ることで記号的消費の価値観を演出する。では、自身は自分のセンスと誰かの記号のどちらに重点を置くのか。

「友達で『お財布を買い換えるのが怖い』という人がいるんです。お財布という一個しか持てない、その上ブランドという記号が付随してしまうものを変えられないらしいんです。自分の“こう見られたい”とか“自分は自分のことをこう見ている”ということが透けて見えること、そうではないのに決めつけられることが怖くて、変えられないんだそうです。僕たちって、生きるときに何かしらの記号を消費しているんじゃないかな。100%自分の作ったものだけで自分を表現できる人なんていないと思います」

ここで大胆な表現が飛び出し、思わず膝を打ってしまった。

「結局のところ、“センスの間接民主制”なんです。HIPHOPのトラックを作るときに、過去の曲の要素を取り出して組み合わせる“サンプリング”という手法を使うのですが、それに似ている」

センスのいい誰かを自分のセンスで選ぶことで、“選んだ”という過程の満足感を得ながら、そのセンスに乗っかって結果を得るという構図を指摘する。

「若い子がどうやって服を買うのか聞いてみたら、インスタのインフルエンサーの服を真似る、っていうんです。つまり、選ぶ人を選んでいる」

この状態を、彼は“センスの間接民主制”と表現する。ただ代議士が変わったに過ぎない、と。

「僕らの世代では“雑誌に載っていたからこの服を着よう”というのがあったかもしれませんが、今の時代は“インフルエンサーが着ていたこの服を着よう”です。昔はマスメディア的だった消費のカタチが今はセンスの組み合わせになっている。自分のセンスの定義は変わっているけれど、代議士がたくさん出てきただけで本質的には変わっていないんじゃないかな」

「そういうことばかり言う“『本質は変わってない』おじさん”が一番嫌われるんですけどね」と、麻布競馬場氏は冗談まじりに議論を締めた。緊張と弛緩を心地よいバランスで操る会話術には舌を巻くばかりだ。

幸せへの道はどこから続くのか?

麻布競馬場氏が『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』に綴るのは現代の悲哀であり、20編のストーリーの多くが鬱屈とした雰囲気を内包するのは確かだ。それでも『希望』や『吾輩はココちゃんである』のように、彼の哲学が反映されたさっぱりとした後味の作品があることも見逃せない。彼は決して悲劇専門の作家というわけではなく、「現代」をテーマとした小説家なのである。

「普通が難しい現代に、幸せな人ってどんな人だろう」という僕の素朴な疑問に応えて、「幸せへの道を二種類の軸から考えるんです」と彼は話し始めた。

「ひとつは、単純に“一番になること”です。2010年代の頃、ピチピチのシャツを着たオジサンが表紙を飾る自己啓発本が流行りましたよね。“止まるより動け”と、競争を続ける考え方です。でも、それにみんなが疲れてしまって、その反動が『ひろゆき』とか『ガーシー』なんだろう、と思います。“それって無駄ですよね”ということを繰り返すんです。頑張ってもどうせ一番にはなれないんだから頑張らなくていい、頑張ってるやつは馬鹿だ、と言って、“動くより止まれ”と、今度は競争を続けることを否定する流れも生まれている気がする。

対して、もうひとつの幸せへの道が、自分の軸を持って実現可能性の高い幸せを求めること、“一番になることを諦めること”になると思います。自分の嫌いなものを端に除けて、自分の好きなものを周りに集めて生きていくんです。

でも、それこそが現代人には難しいんです。だって、少なくとも18歳まで受験という競争に必死になってきたわけですよね。その上、その競争に参加しないと確実に不幸になるという不安がある。これからは圧倒的な放任の時代がやってくる。放り出された平原の中で“自分らしく” 生きて幸せになるために、まずは “自分”を作っておく必要があると思います」

諦めるというとネガティブなイメージがあるが、実際には他者と自分の境界を明らかにする、ある意味では“正直に生きること”に近い印象だ。麻布競馬場氏は次のように続ける。

「競争も他者の尺度で生きることも、他者の存在を前提にしていますよね。推薦コメントをいただいた朝倉祐介さんとお話しした際に、二人とも“小さい頃、電車に乗ったときの何もしない時間が好きだった”という共通点があることが分かりました。

僕は今でもスマホも持たずにただ散歩に出たりすることもあります。誰とも話さず、何もしない時間は一見ムダに見えるかもしれませんが、そこに価値があるかもしれない。そもそも価値が必要かどうかも他人が決めることですからね。他人の価値軸に則って生活するだけじゃなく、小さなことでいいから、他人との関わりや価値軸を脱する瞬間があるだけで人生の選択肢が広がるんです」

インタビューに同席した取材陣の全員、フォトグラファーまでもが撮影の手を止めて、前のめりになって彼の一言一句に耳を傾けていた。

「行動の価値の有無でいうと、けっこう両極端に行きがちなんです。『バックパッカーしてたら人生変わるよね』とか『頑張っていたら人生変わるよね』というだけではなく組み合わせないといけない。実際、今回の著作に関しては何十本もショート・ストーリーを書いた上でいくつも落ちていますしね」と、稲葉氏と顔を見合わせて笑い合う。

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タッグを組んでトライアル・アンド・エラーを続けてきた二人

本人すら見向きもしない失敗談を、人生の予防接種に変える

自身もMZ世代の一人として、1991年生まれの麻布競馬場氏はショート・ストーリーを描き続けた。そんな彼が影響を受けたのは、経営者の苦悩を語るハードシングス系の書籍だったという。

「苦悩といっても、成功した経営者ですから。先輩たちは情けない話をしないんですよ。どんな大変なことでも、最終的に成功した人が思い出として語るので、“でも僕はこんなに立派です”という一種のイキリになってしまう。

だけど本来は、若いうちに色々な失敗した話を聞いておいた方がいいですよね。人生の予防接種になりますから。だから、僕は何も成し遂げていない人がただただ語る失敗談や、持ち上げた石の裏に群れる虫のような、人が嫌な気持ちになる話を拾い上げて、ひとつの形にして届けたかったんです。自分がどう生きるかよく考えてね、ということと同時に、こんな気持ちになってしまうことがあるかもしれないけど、それを含めて自分として捉えてあげてほしい、というふたつのメッセージがありました」

麻布競馬場氏の顔を隠すこのアイコンは、Twitterアカウントの「麻布競馬場」のアイコンでもある。イラスト/岡村優太

僕自身、一人のファンとして「麻布競馬場」というアカウントをフォローしていたわけだが、実は2ヶ月の間“ミュート”して意図的にアカウントを見ないようにしていた時期があった。距離を置かないとならない、と考えるほど彼の書く文章は強烈に鋭く、僕の心をかき乱していた。そんな経緯があり少々身構えて取材に臨んだものの、彼の言葉から最も強く感じたのは、ヒトに対する彼の優しい心根、愛情ともいうべきものだった。

通販サイト「Amazon」での本書籍のページには、ほかの商品とは異なる様相のレビューが並んでいる。数本に一本のペースで小説形式のレビューがあり、その中には巻頭を飾る『3年4組のみんなへ』へのアンサー・ストーリーとなる小説もある。今回の取材にあたって、ストーリーの読み手を、よりエネルギーを使う書き手へと変えてしまう強烈な魔力の出どころはどこにあるのだろう、と考えていた。しかし取材を終えた今なら確信を持って言える。それは麻布競馬場氏の潜在的な“人間愛”から放たれていたのだ。

“人のことが分からない、それこそが執筆の原動力だ“と言った彼は東京の空の下、今日も何食わぬ顔で“普通の人”として生きている。通勤の電車に、会社の席に、訪れたバーに、そして今、あなたの目の前に、彼はいるかもしれない。もしも彼と思しき人に会っても、「小説にされるかも」なんて身構えないでほしい。彼は、彼が思うよりも深く、あなたの話に想いを馳せるのだろうから。

Photo:村山世織

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ライター
田中 謙太朗

2001年東京生まれ。早稲田大学在学中。共同通信社主催の学生記者プログラムに参加したことをきっかけに執筆を開始。その後、パナソニックのイベントへの登壇など、記者としての活動と並行して、英自動車雑誌『Octane』の日本版にて翻訳に携わる。主専攻である土木工学に関連したまちづくりやモビリティに加えて、副専攻に関係するサスティナビリティに関する話題など、これからの時代を動かすトピックにアンテナを張る。
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