Beyond magazine 読者のみなさん、こんにちは。ラッパー/詩作家として活動している maco marets です。
最近、詩集『Lepido and Dendron』を刊行したことをきっかけに、愛書家の集うブックフェアや、印刷会社の催しなどに出店する機会をいただくようになりました。
イベントごとに作品は売れたり、売れなかったり、まちまち。数えきれないほどの出版物がひしめき合う場で、わたしのブースに置かれた1冊を選んで買ってくれる。あるいは買わずとも、ぱらりとページをめくって「いいね」と口元をほころばせてくれる誰かがいる。それは当たり前どころかとんでもない幸運なのだな、と毎度痛感しきりです。
作品そのもののクオリティや内容はもちろん、時代、場所、読者の興味・関心、あるいはお財布事情。いろんな条件があわさったのちにようやくそれは届き、読まれる。本と人との出会いはまさに一期一会です。わたしたちが手にする本の1冊1冊が、見えない縁に導かれてそこにあるとしたら、ね! なんだか特別な気持ちにもなりますね……。
今回は、最近読んだなかでもそうした出合いの喜びが詰まったタイトルを5つ、選びました。

maco marets
1995年福岡生まれ、現在は東京を拠点に活動するラッパー/詩作家。自身8作目となる最新アルバム『Wild』に至るまでコンスタントに作品リリースを続けている。
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『ゲド戦記1 影との戦い』と小学生ぶりの再会

ル=グウィン 作/清水真砂子 訳『ゲド戦記1 影との戦い』(岩波書店, 1989)
たとえば『ハリー・ポッター』『ナルニア国物語』、あるいは『デルトラ・クエスト』や『ダレン・シャン』。幼いころは、剣や魔法、ドラゴンといった要素が登場するファンタジー作品に夢中でした。でも、大人になるにつれてそうした作品たちと少しずつ距離ができてしまっていた。なんとなく「子どもっぽいもの」なんて思ってしまっていたのかもしれません。
ところが今年のはじめ、世田谷文学館で開催された「漫画家・森薫と入江亜季展─ペン先が描く緻密なる世界─」という企画展に足を運んだときのこと。愛してやまない漫画家の入江亜季先生(代表作に『乱と灰色の世界』『北北西に曇と往け』など)が、「読書とは、本とは、物語とは何かを私に気づかせてくれた作品」としてこの『ゲド戦記』を紹介しているのを見たのです。
ここまで激賞されるには理由があるに違いない! かつて小学校の図書館でページを捲った記憶こそあれ、ほとんど内容を覚えていなかったわたし。あらためてこの魔法の世界、アースシーの大地に飛び込む決意をしたわけでした。
今回読んだ第1巻『影との戦い』は、稀有な魔法の才能を持った少年・ゲドが魔法使いとして成長するなかで、みずから生み出した「影」=自分自身の弱さや恐れと対峙していく物語です。途中にはドラゴン退治のエピソードなんかもあるけれど、最終的に向き合う相手はあくまで鏡写しの自分そのもの。心を脅かす死の暗影を、人はいかにして克服できるのか? 誰もが経験するような、普遍的な葛藤がそこに展開していきます。まさかこんなストーリーだったとは、と驚きました。
「どんな力も、すべてその発するところ、行きつくところはひとつなんだと思う。めぐってくる年も、距離も、星も、ろうそくのあかりも、水も、風も、魔法も、人の手の技も、木の根の知恵も、みんな、もとは同じなんだ。わたしの名も、あんたの名も、太陽や、泉や、まだ生まれてない子どもの真の名も、みんな星の輝きがわずかずつゆっくりと語る偉大なことばの音節なんだ。」(本文 p.248)
名や言葉が世界の秩序と深く結びついている、作品の世界観をあらわした素晴らしい一節です。派手な魔法バトルが主眼なのではない。人と、言葉と、世界との、分かちがたい関係そのものを描こうとしたのがこの『ゲド戦記』なのだと思います。ジャンルの枠組みを超えた、まさに至高の物語小説。未読の方はぜひ一度手に取ってみてほしいです。
ジャケ買いで、著者の「好き」に出合った『落雷と祝福』

岡本真帆『落雷と祝福』(朝日新聞出版, 2025)
書店で表紙の可愛いモフモフに一目惚れ、「これはゼッタイ読むしかない」と即購入を決めた『落雷と祝福』。著者自身が愛するものへの偏愛を綴ったエッセイと、それらを題材にした短歌とをあわせて楽しめる1冊です。
取り上げられているのは、例えば「シン・ゴジラ」「チェンソーマン」「スキップとローファー」「ちいかわ」など、誰もがどこかで出合ったことがあるであろうエンタメ作品。それからもっとシンプルに「酒」「犬」、そして「短歌」そのものをテーマにした章もあります。ページのすみずみまで著者の「好き」が詰まっていて、 めくるたび自然と笑みが溢れてくるよう。
「タイフーン・ドッグと呼んでみたくなる風をまとったポメラニアンを」(本文 p.109)
題材になっているものを知らなくても、あるいは短歌を作った経験がなくとも、本書を読んでいくうちに「自分だったら、好きなものをどんな風に表現できるだろう?」と試してみたくなるはず。そんな読者のために、なんと本書には「「好き」で短歌をつくるには?」 という、短歌のつくりかたを実践的に解説したコラムまで収録されています。作歌にあたっての基本的なルールや考え方を説明してくれているので、きっと初心者も大丈夫。
実のところ、わたし自身も短歌についてはほとんど実作の経験がありません。例えばラップの歌詞と比べても、形式や文字数、あらゆる点で違っているから、「ああ、短歌はこういう風につくっていくんだ」ととても勉強になりました(実際に書いてみた歌は、ね、ここでは載せないでおくけれども……)。
「ちいかわが好き」「犬が好きだ」。雷に打たれたようなその感情がモフモフふくらみ、やがては表現としてあふれ出す。本書では短歌が中心になっていますが、もちろん形式はひとつに限りません。音楽でも、絵画でも、ダンスでもいい。本書が教えてくれるのは、「好きなものをかたちにする」楽しみ、喜びそのものの手触りなのです。
言葉のつかみどころのなさを突きつける『言葉と歩く日記』

多和田葉子『言葉と歩く日記』(岩波書店, 2013)
多和田葉子・著『言葉と歩く日記』は、タイトルのとおり「言葉」をテーマに、断続的な思索の日々を綴ったエッセイ集。
著者のことを強く意識するようになったのは学生時代、あの有名なカフカの『変身』を「変身(へんしん)」ではなく「変身(かわりみ)」と読みを変えて訳し直した作品(『ポケットマスターピース 01 カフカ』に収録)に触れてからのこと。我々が何気なく受けとめている言葉の前提を疑い、刷新していく手捌きに魅了されました。
本書『言葉と歩く日記』の話題も、一通りのものではありません。つい口癖のように使ってしまう「なぜか」という言葉は、実際は不要な言い回しではないか。英語の「Open 7 days」と、日本語の「年中無休」の、同じようでも異なるニュアンス。ドイツ語における人称代名詞の透明感。「アベック」と「カップル」。アラブ人のラッパーのしゃべりのリズム。さまざまなトピックを行き来しながら、著者が捉えようとする言葉の諸相が語られていきます。
著者は長くドイツに暮らしており、複数の言語で詩や小説を発表している稀有な書き手でもあります。異なる言語のあわいで生きることは、毎日がゆれ動く地面の上にいるような、言葉の「不確かさ」そのものとの対峙でもあるのでしょう。
「どこかに絶対の規則が存在すると仮定するより、全てが常に運動の中にあると考えた方が言語とはつきあいやすい。」(本文 p.35)
「生きるということは言葉にさらされ続けるということであり、偶然が投げつけてくる言葉を新鮮な気持ちで受けとめ続けることで言語の瘡蓋化を防ぐことができる。」(本文 p.64)
などなど、文中では著者の一貫したスタンスが何度となく示されています。言葉は決してひとつの場所に留まるものではなく、むしろフルイドで、掴みどころのないもの。それでも、この不確か極まりない道具を使って我々はコミュニケーションを交わし、社会を作っている。そのヘンテコさ、おかしみ。「瘡蓋化」する世界から逃れ、フレッシュな言葉と共に生きることはできるか? その方法は? 日々の「当たり前」を揺さぶる、刺激的な1冊です。
本好は部屋にあるだけでも良い。『積ん読の本』

『積ん読の本』石井千湖(主婦と生活社, 2024)
みなさんは「積ん読(つんどく)」という言葉をご存じでしょうか。これは「読もうと思って買ったものの、まだ読めていない本をそのまま積んでおくこと」。あるいは、その「積まれた本」そのものを指す言葉です。せっかく手に入れたのに、忙しさにかまけて読みそびれている。そんな経験、きっと誰にでもありますよね。
本書『積ん読の本』は、そんな「積ん読」をテーマに、作家や編集者、研究者など12人のゲストへのインタビューを通じて、それぞれがどんなふうに本とつきあっているのか、その背景や思いを取材した内容になっています。
どのページを開いても、目に飛び込んでくるのはあふれんばかりの本に囲まれた部屋の数々。角田光代、柴崎友香、小川哲……著名な書き手の本棚を贅沢に切り取った写真は見応えたっぷり、本好きにはたまらない構成です。どんな蔵書があるのか、背表紙に目をこらすだけでもめちゃくちゃ楽しい!
登場するのはみんなプロフェッショナルな作り手であり、読み手たちです。それでも「すべての本を読めているわけではない」「積ん読は悪いことではない」と皆が口を揃えて語る。彼らの言葉は、同じ「積ん読」の徒である読者には心強く響くに違いありません。本は、読むことだけがすべてではない。積まれたまま、読まれないままの本にも、そこにある理由や物語があるのだ、と。
そう、「せっかく買ったんだから、ちゃんと読まなきゃ」なんて、プレッシャーを感じなくたっていいのです。自分のもとに本がある、ただそれだけのことが、どれだけわたしたちの生を豊かにしてくれるか。
かくいうわたしもこの『積ん読の本』に出合ってから、自室の「積ん読」をいっそう愛おしく眺められるようになりました。もはや罪悪感はゼロ、新しい本を買うときもへっちゃらです。いくら積んでも大丈夫。お財布以外は平気、平気……。
雑誌編集者に憧れた過去を思い出させる『RIOT』

塚田ゆうた『RIOT』(小学館, 2024~)
最後に紹介するのは『月刊!スピリッツ 』で連載中の漫画『RIOT』。「Beyond magazine」編集部に教えてもらった作品なのですが、読んでみて、メディア編集者の皆さんがこの作品をおすすめする理由がわかった気がしました。何せ、物語のテーマは「ZINE作り」。
ご存じない方に説明すると、「ZINE」とは、自主制作の小冊子を指す言葉。決まったフォーマットも商業的な制約もない、自由な表現の場として、今やひとつのムーブメントになっています(それこそ冒頭に触れたアートブックフェアでも、手作りのZINEを出品しているクリエイターが数多くいました)。作中、主人公の高校生・シャンハイとアイジはひょんなきっかけでこのZINEカルチャーと出合い、魅せられていく。
田舎町で暮らす彼らは、どこか鬱屈とした日々のなかで、自分の想いを吐き出す場所を探しています。その出口がスポーツでもなく、音楽でもなく、ましてやケンカでもなく「雑誌作り」「ZINE作り」だというのがとても新鮮。今までにない青春のカタチを見せてくれます。
作中では登場人物たちが衝動のままに、アナログな技術を駆使してページをつくりあげていく様子が描かれます。雑誌の切り抜きに、手書きの文字、イラスト。コラージュのようにイメージを繋ぎ合わせるうち、そこに思いがけない輝きをたたえた世界が生まれていく。本作りのワクワクがたしかに伝わってきました。
個人的な話ですが、実はわたしも昔、編集者という職業に憧れていました。作中の彼らのように雑誌をまねて誌面を切り貼り、コンビニプリントのZINEを作った経験は何度となくあるし、一時期は編集プロダクションに飛び込み、本作りの現場でプロを目指して働いていた。当時参考にしていた雑誌のなかには作中でキーとなる『POPEYE』の誌面ももちろん含まれていて、「わかるわかる」なんて、いつかの自分と主人公たちの姿をダブらせて読んでしまいました。まさか、ここまでエモーショナルな気持ちにさせられるとは。
「作りたい」「表現したい」。創作の原点にあるピュアな衝動、その熱さほとばしる『RIOT』。読んだ人はきっと、自分の見える世界をどうにか表現したくてたまらなくなると思います。
Text:maco marets
Edit:白鳥菜都