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新宿から2時間のロードトリップ

伊藤亜和と行く、群馬県大泉町の“ちいさなブラジル”

author: 伊藤 亜和date: 2024/09/16

 

伊藤亜和(いとう・あわ)

1996年横浜市生まれ。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)で注目を集める。2024年6月に自身初の単著『存在の耐えられない愛おしさ』を出版。 

note:https://note.com/awaito
X:@LapaixdAsie
Instagram:@rawaito_

新宿駅から車で2時間弱。私が想像していたのは、降り立った瞬間から迫りくる街行く人々の圧倒的なパッションと、豪快なサンバのリズムである。

「伊藤さん、苦手な食べ物とかあるんですか?」

小旅行のはじまり。高速の入り口に差し掛かった車内で、編集者はハンドルを握ったまま私にそう話しかけた。

私は少し躊躇ったあと、正直に答える。

「えーと、外国の料理。見慣れないやつ。」

「えぇ、もうこの企画おわりじゃないですかー。」

群馬にはちいさなブラジルがある――そう聞いてやってきた大泉町は、あまりにも穏やかで静かな町だった。平日の昼間だから、当然と言えば当然か。車から降りた途端に押し寄せる夏の日差しだけが、私の頭上にイメージ通りの熱烈なキスを浴びせていた。暑い。

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都内から東北自動車道を約1時間。館林ICからさらに30分ほど走ったところに大泉町はある

群馬県・大泉町。人口の5分の1が外国籍の住民によって構成され、その中でもブラジル人がもっとも多い。戦前に飛行機工場があったこの町は、戦後、大手企業を中心とした工業地帯に姿を変えた。かつて開拓を夢見てブラジルへ渡っていった日本人たちの子孫が、今度は日本の経済発展に活路を見出し日本に渡り、やがて定住して今に至る。

いちばん最初に訪れた、大泉町観光事務局に掲示されていた資料を要約するとこんな感じだ。展示資料の横には、この町に訪れた芸能人たちのサインが飾られていた。しかし、いくら探しても「ブラジルの人聞こえますかー!」と叫んでいた芸人のサインは見つからない。信じられない。あれだけブラジルにアプローチしておいて、ここには来ていないのか?

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「今は4世の人くらいまで住んでますね」

事務局の方は神妙な顔でサインを眺める私に丁寧に説明をしてくれた。私は1世2世3世…と、数えなくてもわかるようなことを、頭の中で無意味に数えた。4世なんてあまり耳にしないから、私は不思議に思って同行者に小声で訪ねた。

「4世って、もはや自分が4世って自覚あるんですかね」

「あー、どうなんでしょうね」

「4世までいっちゃったら、自分がブラジル人だって忘れそうじゃないですか?“そういえばじいちゃん顔濃いなぁ”くらいの感覚になりそうじゃないですか」

「たしかに」

私自身は何世でもなく、いわゆる「ハーフ」にカテゴライズされる人間だが、日常の中で「自分は半分外国人なんだ」と思い出すことは正直あまりない。たしかに、集団の中で生活していた学生時代は、そのことで毎晩ウジウジ泣くこともあった。しかし、大人になってから、とくに最近ひとりで仕事をするようになってからは、自分自身、自分がハーフであることを忘れている時間が多い。成長(アラサーなのでもう成長はしないのだが)するにつれて、自分を取り囲む鏡の数が減っていったような感覚、あるいは自分がその鏡の森から逃亡したような心境。おばさんたちが言っていた「どうせ誰も見ちゃいないわよ」というあっけらかんとした思想が、私にも少しずつ芽生えてきたのかもしれない。

この町の人々はそうではないのだろうか。

私は、この町で4世として生きる人の心境を、自分のなかの尺度で勝手に考えてみたが、やはりよくわからなかった。私が普段自分をハーフであると認識しないのは、おそらく外国人である父との関係を断ってしまったことが大きく影響している。もしも私がいまだに父や、父の家族と触れ合いながら生きていたなら、きっと自分がどこから来たのか、絶えず思い出しながら過ごしていたのかもしれない。自由と引き換えに家族の半分を手放したことが正解だったのか、私にはまだわからない。体験用コーナーにあったサンバの衣装の一部を装着させてもらう。早起きにより、いつも以上に低いテンションに反して、私の大きな目と分厚い唇がついた顔には、ド派手な冠がよく似合っていた。

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事務局を出てまた少し車を走らせ、東武小泉線・西小泉駅前のロータリーに降りる。なんでもない閑静な町の合間、ぽつりぽつりと外国語の看板、ブラジルやペルーの国旗が見えた。どうやら私の地元の中華街のように“どこを向いても異国情緒”という感じではないらしい。少なくとも町並みを見る限り、それぞれは固まって独立しているわけではなく、本当に、ごく自然に混じり合って共に暮らしているのだ。目の前の洋品店にはジャガーが描かれたカラフルな絵が飾られていた。

「すごーい!この絵とか見ると、本当に海外に来たって感じする」

はしゃぐカメラマンさんの後ろで、私は自分が妙な懐かしさを感じていることに気がついた。店先に野ざらしの雑貨が並んだリサイクルショップを覗きながら、すぐそばの歩道橋に登って町を見渡す。だだっ広い道路に沿って、途切れ途切れに不思議な佇まいの店が並んでいた。そうか。ここは、私が生まれた町によく似ているのか。

私は横浜の本牧というところで生まれた。米軍基地がある本牧には、かつて栄えた時代の名残のなか、点々と異国の様子が垣間見えた。大きく開けた道、静かな文化の混ざり合い、空は広く近い。ここはよく似ている。真っ直ぐな道から包み込むような大きな風が吹いて、私は大きく息を吸った。

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「レストランブラジル」は、この町では有名なレストランらしい。大泉町にやってきて2時間くらい。私はまだサンバを聞いていない。

レストランに入ると、また入り口にたくさんの芸能人のサインと、彼らと店主が笑顔で写った写真が飾られていた。私はまた目を凝らし、ひとつひとつを慎重に見た。やはりいない。ここまでくると不自然だ。もしや彼は、この町を出禁かなにかになっているのだろうか。それとも人気がありすぎて、来たとしてもお忍びで過ごしているのか。また意味のないことを考えている。迎えてくれた店主は、写真に写っているとおりに、優しい顔をした人だった。

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「レストラン ブラジル」と店主の岩田ダニエルさん

車内での打ち合わせで注文することが決まっていた「フェイジョアーダ」を注文する。フェイジョアーダという文字の下には、なにやら真っ黒なシチューのようなものの写真が載せられている。不穏だ。私はフェイジョアーダの横にある普通のトマト煮込みの写真を物欲しそうに見つめた。根暗なくせに、意外と人見知りはしないのだが“食べ物見知り”はよくしてしまう。見た目で味の想像がつかないものが怖いのだ。いざとなったら一気に流し込むしかない。そう思って、カイピリーニャも注文した。

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フェイジョアーダ。黒豆、牛肉、豚肉、ソーセージ、ベーコンなどを煮込んだブラジルの代表的な料理。家庭やお店によって入れるものはさまざま。奥の飲み物はブラジルの国民的カクテル、カイピリーニャ

しばらくして、一緒に注文した牛すね肉のグリルと一緒に、ライス、フェイジョン(とろみのある豆の煮込みスープ)、ケールの炒め物、そしてフェイジョアーダが到着した。ちいさな鍋のような器にたっぷりと入れられたフェイジョア―ダ。スープは真っ黒で、肉と思しき具材も真っ黒に染まっている。黒豆由来の黒色だということを知って若干ハードルは下がったものの、黒い料理などそうそうないので、やはりまだ怖い。おそるおそる自分の皿によそり、鼻を近づけてみた。ふむ。なんだかおしるこのような感じだ。少し食べる。思っていたよりずっと優しい味。ふくよかな豆の味わいにすべてが包み込まれている。お肉もホロホロで柔らかい。おいしい。

そこから私はむさぼるように…とはいかなかったが、終始おそるおそるフェイジョアーダを口に運び、静かに繰り返しおいしさを確認した。店内は静かで、満腹になった私はゆっくりとカイピリーニャを流し込んだ。

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フェイジョアーダはご飯にかけて食べる(1枚目)。牛スネ肉をじっくり焼いたカルネ・アサーダ・デ・パネーラ(2枚目)。ポテトと鶏肉のコロッケ、コシンニャ(3枚目)

車に戻り、また次の場所へ向かう。

「伊藤さん、普段どんな音楽聴くんですか」

「いろいろ。でも洋楽はあんまり聴かないです」

「へぇ。僕、結構ブラジルの音楽聴いたりするんですよ」

ずっと車内に流れていた音楽に意識が向く。

「ブラジルの音楽って、今のこれもそうなんですか?なんていうんだっけ、ボサノヴァってやつ?」

「そうそう、ボサノヴァ。ブラジルの気分になってもらうために、ずっとかけてました」

これがボサノヴァか。ボサノヴァってブラジルの音楽なのか。アメリカのジャズとブラジルのサンバとが融合してできた音楽らしい。改めて聴いてみると、曲調は終始穏やかながら、決して暗くはなく、どこか陽気なように聞こえる。運転席の彼は続けた。

「ボサノヴァとかブラジルの音楽ってなんか面白くて、歌詞の内容は悲しいんですけど、なぜかメロディや曲調は日本人からすると明るく聴こえるものが多いんですよ。この曲も“あぁもうどうにもならない”“もう死ぬしかない”みたいなこと歌ってるんですけど、わからないままで聴いていると、全然そんなこと歌っているように聞こえないんですよね」

私は相変わらず小気味良く明るいメロディーを聴きながら窓の外を見た。この町では定期的にお祭りがあって、そこではサンバカーニバルも行われるらしい。きっと、今の雰囲気からは想像もつかないほどの活気に満ち溢れるのだろう。最初私が想像していたのはそういうものだった。しかし、それも見てみたいと思いつつ、たった今、この町によく似合うのは明るい寂しさ、ボサノヴァのような気がした。

それから私たちは、ブラジルの雑貨や食品を取り扱っているスーパーを巡った。化粧品や生活用品を扱うコーナーにはたくさんの香水とシャンプーやヘアスタイリング剤があった。店の中心に吊り下がって売られている小さな赤い袋たちは何だろう。あ、コンドームだ。なんと堂々とした存在感。

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食材、日用品など幅広く充実するSUPER MERCADO TAKARA(スーパータカラ)。売り物のほとんどは海外製品

ワンフロアの広い店内に、見慣れない食品が溢れている。さっきのフェイジョアーダやフェイジョンに使われていた豆は大きな袋に詰められて大量に積みあげられている。豆だけでも沢山の種類があり、ブラジル料理に豆は欠かせないものなのだなと感じた。それから、日本のスーパーでは見かけないような派手な色のお菓子。豚の皮を揚げたらしいスナックもある。日本でいうところのえびせんのようなものなのだろうか。

冷凍庫に近づいて、曇ったガラスに目を凝らしてみる。凍った蚕の幼虫の大容量パック。私が「動いたっ!」と叫ぶと、うしろの編集者とカメラマンは「動きませんよ」と苦笑をした。

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レストラン、スーパー、精肉店、パソコンショップなどが一体となった「CASA BLANCA(カサブランカ)」

ここの食品は基本的にサイズが大きい。3リットルのファンタに思わずテンションが上がって購入しようかと考えたが、そもそも我が家の冷蔵庫には入らないことに気がついた。そして、とくに目を見張ったのは冷蔵庫に並べられた肉の豪快さだ。牛一頭から丸々引きずり出してきたように見える巨大なレバーや肺、心臓の生々しさ。普段私たちが見ている肉は、かつてそれが生きていたという事実を遠く隠すように、小ぎれいで均一に切り分けられている。ここで見る肉は、まさに命そのものだった。

じっと見ていれば、かつてそうだったように、ゆっくりと動き出すのではないかと思う形のまま、それらはそこに存在していた。命を頂くとは、その力を分けてもらうというのはどういうことか、ここにいる人々は知っているような気がする。ショーケースの中で赤くツヤめいている肉たちは、私がまだ知らないこの町の情熱そのもののように見えた。

パッションフルーツのムースとパッションフルーツのソース、興味本位で買った蛍光黄色のジュースを持ってスーパーを出る。ジュースは甘く、ゆっくりと溶けたかき氷のような味が懐かしい。ボサノヴァとともに、車は走りだした。

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Edit:赤井大祐
Photo:橋本美花


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文筆家
伊藤 亜和

1996年横浜市生まれ。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)で注目を集める。2024年6月に自身初の単著『存在の耐えられない愛おしさ』を出版。
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