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世界一意識低いクラシック名曲アルバム

10日に一曲を作曲! 天才モーツァルトは“ド変態”だった

author: 渋谷ゆう子date: 2021/06/01

誰もが名前を知っている作曲家モーツァルト。クラシック音楽に詳しくなくても、その曲のタイトルを知らなくても必ずどこかで耳にしている。4歳ごろにはプロの演奏家として活動し、5歳ですでに作曲をしていた彼が35年の短い生涯の間に生み出した曲は実に900作品(長編大作オペラや交響曲を含めても!)。10日に一曲は作っていた計算で、いささかワーカホリック気味のモーツァルトは破天荒でたいそう下品な変人であった。

1756年 (0歳)
神聖ローマ帝国(現在のオーストリア)
ザルツブルクで生まれる

1761年 (5歳)
作曲活動開始(現存する最古の楽曲)

1762年 (6歳)
ハプルグルク家の宮殿で演奏。7歳の皇女(のちのマリーアントワネット)に「大きくなったら結婚してあげる」と上から目線でのたまう。

1770年 (14歳)
ローマ教皇から勲章を授与される

1777年 (21歳)
従姉妹マリア・アンナ・テークラ・モーツァルトに再会し恋人同士に。初めて肉体関係を持ったことが記録されている。

1779年 (23歳)
ザルツブルク宮廷演奏家になる

1782年 (26歳)
コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚

1786年 (30歳)
オペラ『フィガロの結婚』作曲

1788年 (32歳)
交響曲第39番、第40番、第41番を作曲

1791年 (35歳)
オペラ『魔笛』作曲、ウィーンにて死去。
埋葬先は未だ不明。

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下ネタ大好き!
とにかく下品だった
モーツァルト

天才モーツァルトには、奇人変人変態ぶりを示すエピソードの数々がこれでもかと残されている。

舞踏会では女性のスカートをまくり、好きな言葉は下半身関係。

「ねえ、今日はちゃんとうんち出た?もしかしてやっぱり僕のこと怒ってる?僕たちのお尻は平和条約の印だよ!君はもう僕に抵抗できないと思ってるから。僕のアレも元気です!これからパリに行くけど、君からの返事が間に合わなかったら僕はうんちを代わりに受け取るの?ねえ!うんちだよ!(以下筆者による自粛)」などうんちを連発する手紙を好きな女性に送っている。

目眩がしそう。さすがに後世に残しておけないと思ったモーツァルトの家族の手によって、死後にその下品な手紙のいつくかは処分された。

しかし『僕のお尻をなめて』『僕のお尻をしっかり綺麗に舐めて、この上なく綺麗にして』などという下品この上ないタイトルの曲(いたって美しい楽しい楽曲です※個人の感想です)まで作っていたおかげで、隠しようのない変人ぶりが今もちゃんと伝わっている。

ここまでの変態ぶりが晒されては、どれほどの天才であろうとも親しみが湧いてくるから不思議である。なんならいっそ可愛い。そんな子供っぽいモーツァルトには、実はちゃんと妻もいた。その妻との生活から、別の側面にも迫ってみよう。

贅沢大好き!
ともに浪費家だった
モーツァルト夫婦

1781年、モーツァルトは故郷ザルツブルクでの宮廷演奏家の仕事を雇用主である大司教と揉めに揉め、追い出されるようにウィーンに移る。25歳の時だ。貴族への楽曲提供やオペラ作曲で生計を立てていたこの頃の音楽家にとって、文化の中心であるウィーンに移ることは当然の流れだった。

ウィーンで住居を探す際、以前思いを寄せていたアロイジア・ヴェーバーの家に下宿させてもらおうと試みる。残念ながらその時すでにアロイジアは結婚しており、その代わり(!?)妹のコンスタンツェと結婚することを条件に、ウェーバー夫人に下宿を許可された。

翌年1782年に二人は結婚。当時親の決めた相手と結婚すること自体は特に珍しいことではないが、この二人の仲は悪くはなかったようだ。モーツァルトの父親はこの結婚には反対していたが、モーツァルト自身が「彼女を深く愛している」と父親を説得した。妻コンスタンツェに送った愛の手紙(それほど下ネタではない)も残されており、たった8年間の結婚生活ではあったけれども、6回の出産(成人できたのは2人)をするほど、二人は睦まじい時間を過ごしていた。

妻コンスタンツェの肖像画

結婚当時、すでに有名作曲家として売れっ子のモーツァルトにはそれなりに高い収入があった。オペラや交響曲を書いては依頼主に納品し、楽譜を出版することで生計を立てていた。ただ、ここがこのモーツァルトの只者でない部分だが、とにかく浪費が凄まじい。着るものは常に上質で、数も揃えたい性分。家賃の高い立地よい場所に住み、さらにはカジノに通い負けまくる。全く計画のない性格がここでも遺憾無く発揮されている。

お金がなくなりそうになると、仕事を持ちかけて前借りをし、知人に借金を申し込む。ここでさくっとお金を借りられるのが彼の才能のひとつだ。あの下ネタ大好きな子供っぽさと、正直で悪びれない性格は、ある意味武器だったのかもしれない。

さてこんな状況を妻であれば肝を冷やして進言したいところ。まともに生活ができるとも思えないのだが、そこはさすがモーツァルトと相性の良い妻コンスタンツェ。自分も一緒になって浪費を楽しんでしまう。例えるなら港区おじさんと結婚した女子。良い場所に住み、良い服を着て、豪華な旅行をする。こんなに心躍る素敵なことはなかっただろう。夫婦で絵に描いたような弾けっぷりがいっそ清々しい。

30代前半は
借金返済の作曲続き

この妻の浪費の裏には、モーツァルトが結婚後も女性にあてて曲を送ったり、恋愛沙汰を繰り返すような問題が付き纏っていたことも影響しているのではないかとも思う。妻として家を守っているのだから、その収入を好きに使って憂さ晴らしをしたくなる気持ちもわかる。夫は才能を湯水のように使って作品を売る大作曲家。つまりある意味担保はいくらでもある。作曲して返しますと言ってお金が借りられる才能豊かな夫と贅沢をしながら、結婚している間中、常に妊娠しているか赤ん坊を腕に抱いているかのような時期を、妻も一緒になって過ごしていたわけだ。

そんな贅沢な生活を続けるためには、モーツァルトも作曲をやめるわけにはいかなかった。現代のような音楽権利ビジネス、いわゆる印税方式は確立されていなかったので、いくら作っても売った時のワンタイムの収入しかないモーツァルト。その頃すでに病いもあり、借金返済の作曲続きで相当辛い時期を過ごしてしまう。人気も下降し仕事が減ったことも追い討ちをかけたようだ。こうして35歳という若さでこの世を去った。

病いでベッドから起き上がることもできなかった最期、モーツァルトが横になったまま書きかけていて完成できなかった「レクイエム」は、弟子によって最後まで作られ、今も名曲として評価され続けている。

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モーツァルトが息を引き取った際、妻コンスタンツェは郊外に静養にいっていた。慌てて戻るも葬儀も不十分となり、共同墓地に埋葬されたようだ。結果、今でもモーツァルトの遺体がどこかわからない。

モーツァルトの名誉を守った
妻の行動

コンスタンツェはモーツァルトの死後、膨大なその作品を整理し、借金返済に奔走した。モーツァルトが自分に宛てた手紙もほぼ処分したという。あの下半身ネタ満載の恥ずかしい手紙がもしもっと大量に残っていたらと思うと空恐ろしい。コンスタンツェは賢い妻だった。のちに再婚したが、この夫と共にモーツァルトの名誉を守った。お金の問題だけでなく、そこには愛があったと思いたい。変態な夫を実は微笑ましく思い、憎みきれない愛嬌を感じていたのではないだろうか。全くモーツァルトというこの人間くさくどうしようもない部分を知れば知るほどに、なぜか親しみを覚えてしまう。

破天荒で、下品で、子供っぽいモーツァルト。その常軌を逸した弾けっぷりと背中合わせにある鬼気迫る天才的な多くの楽曲は、今もクラシック音楽の中心に輝かしく残っている。モーツァルトこそが、「きらきら光る、お空の星」。そのものだ。

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音楽プロデューサー
渋谷ゆう子

株式会社ノモス代表取締役。音楽プロデューサー。執筆家。オーケストラ録音などクラシック音楽のコンテンツ製作を手掛ける。日本オーディオ協会監修「音のリファレンスシリーズ」や360Reality Audio技術検証リファレンス音源など新しい技術を用いた高品質な製作に定評がある。アーティストブランディングコンサルティングも行う。経済産業省が選ぶ「はばたく中小企業300選2017」を受賞。好きなオーケストラはウィーンフィル。お気に入りの作曲家はブルックナーで、しつこい繰り返しの構築美に快感を覚える。カメラを持って散歩にでかけるのが好き。オペラを聴きながらじゃがいも料理を探究する毎日。
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